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もう少しで読み終わりそうな色川大吉先生の『自由民権』(1981 岩波新書)ですけど、そのまとめのところを昨日の夜、寝ぼけながら読んでいて、あれ、これはいつのこと? と、ふと思いました。
本が出てからもう41年経過していますが、政治も世の中も何も変化していなくて、相変わらず人々の人権は危なっかしいし、独裁者は適当な理屈で戦争をしてしまうものですし、全く何も変わっていないのではないか。
そんなことを考えました。少し引用してみます。
私たちは今、防衛問題と改憲問題をめぐって国論を二分するような対立に直面している。百年前の人民もそうだった。当時わが国は経済的にも軍事的にも東アジアのきわめて小さな独立国であった。後進国でもあり軍事小国であった。
そして欧米列強についてはもちろん、隣邦(清帝国)中国とロシア帝国の脅威を感じていた。情況は今日よりはるかにきびしい。時代は世界帝国主義のむきだしの侵略開始期で、それに歯止めをかけるような、いかなる国際機関も存在していなかった。軍事小国日本の安全をどう保障するか。それは民権派にとっても片時も忘れることのできない問題だった。
自由民権運動が盛んだった140年前、日本と世界の対比、日本で自由を求めた人々の動き、そういうのをずっと本の中でたどってきた先生は、あんなに一生懸命に議論し合った人々はどこへ行ったのか、そうして日本全体はどうなっていったのかを、まとめておられます。
確かに民権派の人々(ふつうの市民も?)は、議論し合い、行動しようとした。それがいくつかの「事件」として歴史の中には残っています。それが過去の出来事として今ではかなり風化しているような気もします。
そして、国全体・世界全体は進歩し、賢くなったのか、という疑問です。百年の歳月の間に日本が手に入れたものは何か? 次から次と疑問はつづきます。
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(自由民権運動から百年が経過した日本は)すでに事実として世界の最先進国の一つ、巨大な生産力、技術力を持つ経済大国として、第三世界をおびやかす帝国主義の勢力に成長している。持っていないのは在日米軍以外の巨大な軍事力だけである。そこで、これからは軍事力の強化と、そのための国家体制の整備を国策にするという。
それから百年、国としては経済的な発展を手に入れました。けれども、国の内部としては(特に地方においては)くたびれ、人がいなくなり、都市部だけが豊かになり、都市の理屈ですべてが回っている。立派にはなったけれど、危なっかしい。というんで、国としては外からの侵略にも耐えられるものを持たねばならない、核にだって手を付けたってそれは仕方のないことだ、なんていうのを過去の政権担当者が口走る、そういう現在にはいますね。
先生が見ていたのは1980年代の日本だけど、今の私たちも、そんなに変わらないものが見える気がします。
それは、私たちが望んでいたものなんでしょうか。
ロシアの侵攻などのニュースを見ていると、私たちも侵略に対する武器を持たねばならない、という議論が起こるのは仕方のないところです。
私は、こうした議論に参加できないでいます。侵略されたら、戦うのか、果たして私は戦えるのか、侵略してくる敵を退けるまで戦う、それはありなのか、わかりません。私なんて、ヨボヨボ逃げまどうのが精一杯でしょう。
侵略者は、極悪非道で、降伏したものの人権も許さない、とんでもないことをする人たちに変わってしまいます。今までごく普通に暮らしていた人々が、戦場という場に来れば、人が変わってしまいます。それは、昔も今も同じのようです。たぶん、未来においても、戦争が行われたら、人は人ではいられなくなってしまう。
戦争は、始まってしまったら、もう人権なんて考えないし、手当たり次第に非人道的なことをする、それが戦争でしたね。戦争をさせないために、最大限の努力をしなくてはいけなかった。絶対にしてはいけないのが戦争でした。
百年前の民権家の人たちは何を考えたんでしょう?
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(民権家は)その防衛論議のなかで常備軍を否定した。そして、地域ごとの土着兵や護郷兵(民兵)による市民総抵抗の構想を示した。
また、外敵の侵略意図にたいしては、それを失わせるに足るほどに完璧な美術作品のような日本列島づくり――文化国家作りの構想を示唆した。ある者は世界無上憲法と世界最高国家による一定の主権の制限を前提に、国際警察軍による大国の横暴の抑圧を提唱した。
またある者は日、中、朝三国の対等な協力によるアジア共同防衛策を主張した。これらは今なお十分に検討にあたいする内容だと思うが、私たちは何よりもその奔放な発想を見習う必要がある。
先生、どれも実現しない夢みたいなものだったんじゃないですか。そして、いくら理想を求めた人たちも、結局は、大日本帝国憲法と権威主義的な帝国議会がスタートしたら、みんな鳴りを潜めたんじゃないんですか。そして、戦争に関していえば、日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争、すべてそちらに巻き込まれていったんじゃないですか。
と、尋ねてみたくなりますが、何もないところから日本の民権家の人たちが国の在り方を考え、市民の権利はどうあるべきか、政府はどんな形となるべきか、議論してくれたことを、私たちがちゃんと受け継いでいるかどうか、それらはほとんど忘れ去られている気がするので、改めて考えてみる必要がありますね。
古くて新しい議論なんだと思われます。いつもどこの国でも、自分たちはどうあるべきか、私たちは国家や権力とどう関わったらいいのか、というのは問われているのだと思います。
あと少しで本は読み終わってしまうんですが、私の問いは終わらないです。世界もずっと問われ続けるんでしょうね。