芭蕉さんと笠島に行きますかね。さて、笠島って、どこにあるんだろう。東北本線で走ってても、なじみのない駅名がいっぱいありましたけどね。東北本線沿いだろうか。
鐙摺(あぶみずり)・白石(しろいし)の城(じょう)を過ぎ、笠嶋(かさじま)の郡(こおり)に入れば、藤中将実方(とうのちゅうじょうさねかた)の塚はいづくのほどならんと、人にとへば、
「これより遥(はるか)右に見ゆる山際の里をみのわ・笠嶋といひ、道祖神の社(やしろ)・かた見の薄(すすき)今にあり」と教ゆ。
鐙摺や白石の城下町を通り過ぎ、やがて笠島の郡に入ったので、藤原実方の墓はどのあたりであろうかと思って、人に尋ねてみたところ、
「ここからはるか右手に見える山のそばの村里を蓑輪・笠島といい、そこには道祖神の社やかたみのススキが今でも残っています」と教えてくれた。
そのあたりに、実方さんのお墓があるんですね。そもそも実方さんって、どんな人でしたっけ?
平安朝中期の歌人だそうで、藤原行成さとん口論して、陸奥守に左遷され、笠島の道祖神社の前を「我、下馬に及ばず」と馬に乗ったまま通り過ぎて、落馬して死んだ方なんだそうです(「源平盛衰記」)。
何だか可哀そうな方ではあるんですね。プライドやら、都会の風を吹かせたかったんだろうな。一つひとつの神様に、お祈りして歩くという考えがなかったんだなあ。
このごろの五月雨(さみだれ)に道いとあしく、身つかれはべれば、よそながら眺めやりて過ぐるに、蓑輪(みのわ)・笠嶋も五月雨の折(おり)にふれたりと、
笠嶋は いづこさ月の ぬかり道
近ごろの五月雨のために道がたいへん悪く、自分の体も疲れているので、遠くから眺めやるだけで素通りしてしまいました。蓑輪・笠島という地名も、雨に「蓑」「笠」って、五月雨の季節と縁がある地名だなと、句を詠んでみました。
平安の昔の歌人の藤原の実方さんのお墓はどこだろうと、五月雨に縁のある地名なので、ぜひ行ってみたいと思うのですが、この抜かり道で尋ねていくこともできず、心残りでならないのです。
★ 私は、2017年の3月、18キップで盛岡から三重まで2泊3日で帰ってきましたっけ。あの頃は、そんなこともできたんですね。今では考えられないな。笠島は、もう宮城県らしいのです。名取市くらいになるみたいです。行くチャンスあるんだろうか。福島のママドール、また買いに行きたいな!