![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/80/5e4d0dbf0663997026c787439d86cc25.jpg)
何ヶ月か前、テレビのニュース番組の中で、小さな特集コーナーがあって、そこで「フェイク・ニュース」が取り上げられていました。
インタビューされていたのはどこの人だったのかなあ。アメリカか、イギリスか、とにかく欧米系の人でした。彼はこう語っていました。
「ぼくたちはフェイク・ニュースを作っている。どうしてそんなことをするのかというと、メディアの流すニュースは真実だけしかないからだ。そんなことをぼくたちは求めているのではない。ぼくたちはぼくたちの欲しい情報をニュースとして流すのさ。」
この制作者なる人は本当にそう答えたのか。これもニセモノではないのか。もう疑えば切りがないけれど、まあこれも1つの真実ではあるのかもしれない。でも、何だかウソっぽいかなという気もしたのです。メディアは「真実しか流さない」なんて、それは明らかにウソというのか、この人もだまされていると思ったのです。いや、メディアがそこだけを切り取ったのかもしれないと、もうかなり疑ってみていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/33/4d4a978698491feb118f920bd8619cc0.jpg)
はたしてメディアは真実を伝えているのか?
私はそうではないと考えています。メディアは限定された状況の中で、ある程度許可された情報をニュースとして伝えている。または、単純な結果だけを真実として流している。どこどこが試合で勝った。株価が上昇した。どこどこは晴れているなど、あまり足を使って取材したものではなくて、ホイホイと投げ入れられた情報を、適当に切り貼りしてニュースとしているだけではないのか。
よくマル得情報とかいうことで、最近の流行のモノ・便利なモノを公共放送で流しいるけれど、たいていはつまらない、役に立たないモノばかりが紹介されています。あそこに出てくる利用者は、実は関係者ではないのかと思ったりします。その取り上げられたモノと関係する団体の人が、利用者として家族総出で楽しんでいるようなふりをしている。要は宣伝・コマーシャルではないのか。こんなのは取材じゃなくて、ただ放送が広告の道具として利用されているだけではないのか。……疑い深くなりますね。
あんな業者の広告を受信料を払って見させられているとしたら、私の毎月の受信料を返せ、と言いたくなるではありませんか。しかも上手に情報操作されていて、許可されたものだけがニュースにされているとしたら、もうまるで信用できないし、もともとはメディアなんてそういう存在でしかなかったのだ。言ってしまえばそれまでだけど、そういうものなのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ee/20c3902bf5e9905ba21238fe8ea7154f.jpg)
だから、みんなが信用できないと思いつつ、とりあえずと思って、ただテレビを開いている。それだけのことだと思われます。
だったら、一見真実っぽく見えるメディアなるものから離れて、自分から発信してみたい。フェイクとか、疑わしいと言われようが、私の伝えたいことはこれだ、何ら裏付け調査なんかなされていないが、とにかくこれが伝えたいのだと、今の時代の人なら考えて当たり前だし、そういう手段をみんなが持っている時代なのです。
だから、次々とフェイク・ニュースは世界で流され続けるでしょう。かくして世界は混乱と混沌で入り交じり、もう自分で自分を守るしかないし、だれも信用できないとなるのかもしれない。
こんなに情報はたくさんあるのに、信頼できるものはあまりなくて、とりあえず目の前の自分の真実だけを頼りにしていく。
これは危ないですね。少しでも自分以外の頼れる人を見つけて、その人たちと力をあわせて、みんなで共有できる情報を持ち、みんなでどう対処すべきか話し合って、少しずつ勧めていくしかありません。
大国や小国、国家はどんなふうに進んでいくかは知らない。でも、戦争は絶対にしてはならないし、地球環境は守っていくしかない。
私たちはあとどれくらい地球に住んでいるのか、それはわかりません。私はあと?十年だけど、人類はどれくらい生きていくのだろう。何億年も生きるなんて考えられなくなってきました。どこかで滅びてしまうような気もしますが、それは私の知らない世界です。
とりあえず、私の子ども世代の人びとがどう暮らしていくのか、それは責任を持ちたいと思うのです。
そのために、フェイクであろうが、みんなで共有できることであれば、それを心にしまって、みんなで社会を変えたいなと思います。
そのために、今日は早起きをした? いや、たまたまトイレに起きて、そのままになっているだけです。たまたまです。
インタビューされていたのはどこの人だったのかなあ。アメリカか、イギリスか、とにかく欧米系の人でした。彼はこう語っていました。
「ぼくたちはフェイク・ニュースを作っている。どうしてそんなことをするのかというと、メディアの流すニュースは真実だけしかないからだ。そんなことをぼくたちは求めているのではない。ぼくたちはぼくたちの欲しい情報をニュースとして流すのさ。」
この制作者なる人は本当にそう答えたのか。これもニセモノではないのか。もう疑えば切りがないけれど、まあこれも1つの真実ではあるのかもしれない。でも、何だかウソっぽいかなという気もしたのです。メディアは「真実しか流さない」なんて、それは明らかにウソというのか、この人もだまされていると思ったのです。いや、メディアがそこだけを切り取ったのかもしれないと、もうかなり疑ってみていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/33/4d4a978698491feb118f920bd8619cc0.jpg)
はたしてメディアは真実を伝えているのか?
私はそうではないと考えています。メディアは限定された状況の中で、ある程度許可された情報をニュースとして伝えている。または、単純な結果だけを真実として流している。どこどこが試合で勝った。株価が上昇した。どこどこは晴れているなど、あまり足を使って取材したものではなくて、ホイホイと投げ入れられた情報を、適当に切り貼りしてニュースとしているだけではないのか。
よくマル得情報とかいうことで、最近の流行のモノ・便利なモノを公共放送で流しいるけれど、たいていはつまらない、役に立たないモノばかりが紹介されています。あそこに出てくる利用者は、実は関係者ではないのかと思ったりします。その取り上げられたモノと関係する団体の人が、利用者として家族総出で楽しんでいるようなふりをしている。要は宣伝・コマーシャルではないのか。こんなのは取材じゃなくて、ただ放送が広告の道具として利用されているだけではないのか。……疑い深くなりますね。
あんな業者の広告を受信料を払って見させられているとしたら、私の毎月の受信料を返せ、と言いたくなるではありませんか。しかも上手に情報操作されていて、許可されたものだけがニュースにされているとしたら、もうまるで信用できないし、もともとはメディアなんてそういう存在でしかなかったのだ。言ってしまえばそれまでだけど、そういうものなのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ee/20c3902bf5e9905ba21238fe8ea7154f.jpg)
だから、みんなが信用できないと思いつつ、とりあえずと思って、ただテレビを開いている。それだけのことだと思われます。
だったら、一見真実っぽく見えるメディアなるものから離れて、自分から発信してみたい。フェイクとか、疑わしいと言われようが、私の伝えたいことはこれだ、何ら裏付け調査なんかなされていないが、とにかくこれが伝えたいのだと、今の時代の人なら考えて当たり前だし、そういう手段をみんなが持っている時代なのです。
だから、次々とフェイク・ニュースは世界で流され続けるでしょう。かくして世界は混乱と混沌で入り交じり、もう自分で自分を守るしかないし、だれも信用できないとなるのかもしれない。
こんなに情報はたくさんあるのに、信頼できるものはあまりなくて、とりあえず目の前の自分の真実だけを頼りにしていく。
これは危ないですね。少しでも自分以外の頼れる人を見つけて、その人たちと力をあわせて、みんなで共有できる情報を持ち、みんなでどう対処すべきか話し合って、少しずつ勧めていくしかありません。
大国や小国、国家はどんなふうに進んでいくかは知らない。でも、戦争は絶対にしてはならないし、地球環境は守っていくしかない。
私たちはあとどれくらい地球に住んでいるのか、それはわかりません。私はあと?十年だけど、人類はどれくらい生きていくのだろう。何億年も生きるなんて考えられなくなってきました。どこかで滅びてしまうような気もしますが、それは私の知らない世界です。
とりあえず、私の子ども世代の人びとがどう暮らしていくのか、それは責任を持ちたいと思うのです。
そのために、フェイクであろうが、みんなで共有できることであれば、それを心にしまって、みんなで社会を変えたいなと思います。
そのために、今日は早起きをした? いや、たまたまトイレに起きて、そのままになっているだけです。たまたまです。