うちの子の、小学校高学年のころの作品です。つぶらな瞳でこちらを見ています。みんなを受け入れたいし、どうしたら他人と仲良くなれるだろう。人って、よくわからないけど、とりあえず心を開いて見たよ。なかなかうまく話せないけど。そして、話をしても、どれだけお互いの気持ちや距離をはかればいいのか、そのあたりがあまり得意ではなくて、なるようにしかならない。
それでも、一生懸命に友たちと仲良くして、ゲームして、おしゃべりして、一緒の時間を過ごして、うまくやれているような気もしていたでしょうか。
でも、あんまり踏み込まないし、一人の時間も欲しいし、仲間と一緒の時間を過ごした。あの子たちとは友だちなんだ、という実感があったのかなあ。
そんなの絶対のものではないのだから、いろんな機会に友だちと一緒にある何かを共有したり、かけがえのない時間を過ごせたらよかったんですけど、うちの子はどうだったんだろう。
ふり返ってみれば私も、そんなに友だちがたくさんいたというわけではなかったのです。奥さんは友だちだったわけですが、友だちなのか、何なのかわからなくなって、とにかく一緒にいなきゃとずっと過ごしていますし、彼女ならではの関係がつくれているから、彼女は奥さんであり、唯一無二の友だちではあります。
これからもそうだと思うけど、同じ仕事仲間であるとか、一緒に事業を行うとか、共同経営者という関係ではありません。たぶん、これからもそうです。何か事業を起こしたいという野望もありましたが、それもいつの間にか消えてしまった。
となると、彼女と一緒に事業をするというのか、何かをするとしたら、農業でしょうけど、これもやっていく見込みはないし、奥さんとして一緒にいてもらうだけですか。何か彼女と違う関係って、あるのかなあ?
となると、私のお友だちは他には? もう、いい年なんだから、友だち云々をする場合でもないだろうし、何か一緒にやれたら、それをともに楽しむ仲間がいてくれたら、それでいいのかもしれない。一緒にお酒でも飲めたらいいけど、そういうこともなくなりましたね。
となると、ネットのお仲間たちは、私の大事な仲間ではありますけど、まあ、それはそれなりに大事にしていますけど、リアルな仲間も改めて大事にしていかなくてはならないです。
うちの子は? あんなに一生懸命に仲間と一緒に過ごそうとしたのに、中学・高校と少しずつ孤立していったのかもしれないです。
今は、お父さんと同じようにネットの仲間は大事にしているみたいで、それは大切なことなんだけど、リアルの仲間はどうしているんだろうと、少し心配しています。
そんなにいつも一緒にいられる訳ではないのだから、何かにつけてうちの子のことを思ってくれる人がどれだけいるかです。
私は、うちの子を連れて、うちの子の好きな小さな生き物たちと触れ合える北海道に行きたいんだけど、賛成してくれないでしょう。だから、思ってるだけです。小さな生き物たちは、うちの子のアンテナにものすごく引っかかみたいです。確かに、生き物たちは一生懸命だし、人間なんて関係なく生きようとしていますからね。うちの子の生き方にも重なるのかもしれないなあ。