過ちと誠実さという意味で、ことばを並べていますが、39番は『論語』ではありませんでした。何だか今ではいいように使われていて、孔子先生のおことばという気がしません。後付けなんだろうか。まあ、孔子先生にのっかって、何かことばを作ってみようという人がいたのかもしれません。
39【罪を憎んで( )を憎まず】……犯した罪悪は許されないが、その○を許さないわけではない。「其の意を悪みて其の○を悪まず」が原典。《孔叢子》
→孔子さんが裁判の心得として、罰することが前提ではないのだと説いたとされています。
→孔子さんが裁判の心得として、罰することが前提ではないのだと説いたとされています。
40【過ちを見てここに( )を知る】……他人の失敗も、人情に厚すぎておかす場合と、情け知らずからおかす場合とがあり、その動機をよく見るとその人の本質がつかめる。〈里仁〉
こちらは、『論語』にあるから、先生のおことばだという気がします。そして、いつも通りにやさしい視点で人間を見てくれています。
人間は、あやまちを犯す生き物なのです。それは確かです。人間の歴史とは、もうその人々の失敗と犯罪と恐ろしいアイデアの積み重ねでもあります。でも、それだけではなくて、そういう人間である自分たちが、どのようにして生きていくべきか、個人だけではなくて、全体としての未来像をイメージして、社会を変えていかなくてはと考える人たちもいた。
そういう積み重ねの上に私たちの現在や未来があります。今、コロナウイルスという世界全体への試練がやって来ていて、いろんな人たちがそれぞれのアプローチ方法でコロナに立ち向かおうとしています。
コロナは、外から来たものではなくて、私たちの内側にあったものなんでしょう。それが世界的に広がり、たくさんの感染者・死者が出てしまいました。まだまだ続くでしょう。2020年は、世界的拡大ということで記録され、世界はこれに立ち向かったことが語られます。
私は、まだこのウイルスたの戦いの全貌は知っていなくて、ただ小さくなっているだけですけど、何十年かしたら、あの国の対応が良くて、別の国ではこんなことが起こっていたなどということがわかるでしょう。
孔子先生は言います。人は過ちを犯す。それがどんな場合によるのか、そのいろいろな動機や背景を知れば、その人が理解できるし、要はそれをどんなふうにして乗り越えるか、なのだとおっしゃっている気がします。
過ちをして、そこでその人の人となりが分かってしまう。私は、ただただゴメンナサイというばかりです。でも、ちゃんと言えてるかどうか、それも不安です。
41【義を見て為(な)さざるは( )無きなり】……人としてなさねばならぬ正しいことと知りながら、これをなそうとしないのは、真の勇気がないのだ。〈為政〉
さて、これをしなくちゃいけない、それが分かっているのに、何もしないのは、それはもちろんダメな人です。
ただダメであるのは仕方がないし、人にはそれぞれの持ち味もある。キャラもある。でも、ここでちゃんとやらねばならないと自覚しているのに、それをやらないのは勇気がないし、人として大きな過ちにはなります。
でも、これも「なんて、自分はダメなんだ。これでいいのか」という反省材料にしたら、次のチャンスで行かされるから、根性なしであろうとも、情けないヤツだとしても、ショボクレのキャラであっても、挽回できる時はあるんです。
そんな、取り返しのつかない失敗なんてないのです。いつでも取り返せるし、これはいかんと思ったら、すぐに行動できなくては、それこそ本当のダメなのです。
せいぜい、そうならないように頑張りたいです。
答え 39・人 40・人 41・勇