イカロスって書こうとして、画像検索したら、とんでもない過剰な絵ばかりでした。ネット検索って、本当に役に立たない、どうでもいいものばかりが取りざたされています。おかげで、私たちはウンザリさせられ、少しずつネットの世界から放り出されつつあるのかもしれません。
今の若い人たちだって、こんなつまらない画像や、わざとらしい絵や、おどろおどろしい姿に飽き飽きしているのだと思います。でも、そこから出るすべがなくて、ご丁寧でお節介な世界に閉じ込められています。
だからって、私みたいな訳の分からないペイントでは、とても世界は広がりません。たぶん、あるところには素敵なイカロスたちがいるんだろうけど、簡単に目に入って来るイカロスは、もうダメダメです。
どうしてイカロスなんだろう?
そうだ、米原万里さんがこんなことを書いておられました。
1961年のガガーリンさんが人類最初の宇宙訪問者となったとき、万里さんのまわりで「ガカーリンさんはイカロスだ」とたたえる人たちがいたそうです。でも、イカロスは墜落者だし、ガガーリンは成功者だから、そのたとえはおかしいということになったそうです。
万里さんがプラハのソビエト学校に通っておられた時のことでした。彼女はまだ十代の初めでした。
それから29年を経た1990年、日本人最初の宇宙飛行士、秋山豊寛さんのプロジェクトに通訳として参加したわたしは、モスクワ郊外の宇宙飛行士訓練センター、通称「星の町」の小さな博物館を訪れる機会があった。ガガーリンとともに訓練を受けたことのある元宇宙飛行士の所長さんが案内してくれた。
展示品のなかに、縁の焦げた身分証明書があった。27歳の若さで偉業を成し遂げたガガーリンが、その7年後の1968年、ジェット機訓練中の事故で、遺体が身元判明できぬほどまでまる焦げになり、その身分証明書が唯一の証拠品だったというのである。
さあ、これは事故死だったのか、事故を装った暗殺だったのか、ブレジネフ書記長を批判したため、このようなことになったのか、質問してみても、ちゃんとは答えてもらえなかったそうです。ただ、
「宇宙からは墜落しなかったけれど、やはりガガーリンはイカロスだったのですね」
ということだったそうです。そして、秋山さんが飛び立つバイコヌール宇宙基地の野原には石碑がいくつかあったそうで、表示も何もなかったそうです。
「イカロスたちの墓ですよ」
基地の職員が耳元にささやいた。ガガーリンによる宇宙飛行の成功の前にいくつもの失敗があったことを、そのとき知った。
当然のことながら、ソビエト連邦の栄光の影には、たくさんの無名の戦士や宇宙飛行士たちの死がありました。
今も同じで、プーチンが手に入れたい栄光のために、たくさんの人々の死が平気で要求され、あろうことかウクライナにおいては、子どもたちが犠牲になっている。ウクライナの子どもたちが何をしたというのでしょう。となりの国のプーチンって、イヤだなとは思っただろうけど、全く敵対していなかったのです。それでもヤツは相手の国の厭戦気分のために、せっせと一般市民の命を奪っている。これを誰も止められないなんて、なんていう世の中なんだろう。
権力者たちの栄光ほど、空虚でとんでもないものはありません。まだ、邪悪ともいえるネット上のイカロスたちが可愛らしく見えてきます。
本当に邪悪なものは、理解者として、人々の声を聞くものとして演じているけれど、全く空っぽです。ただの亡者だったのでした。
★ 引用は、米原万里さんの『真昼の星空(簡単に見ることのできないもののたとえですね!)』2005 中公文庫でした。