たまたまだけど、何日か前、帰宅する時にまっすぐな道を走っていて、そんなにスピードも出ていないのに、ふとハナウタをうたっていました。
どこまでも行こう 道はきびしくとも
ふふふふふ ふふふーふふ 走って行こう
2番も、3番も、1番さえもわからないけれど、何度か繰り返していましたっけ。
ただ、こころの中にある歌が、たまたま飛び出てきて、クルマの中で歌ってみたというところかな。
何もかもチャランポランにしか記憶していない私の、いい加減なハナウタでしたが、何となく気分がよかったし、早く家に帰れた時だったのかなあ。どういうシチュエーションだったかも記憶にありません。
すべてアヤフヤな世界を、何もかも忘れながら生きているみたい。でも、今回新聞とかで見ていて、あれ、何かつながってるんだなと思った次第です。
「どこまでも行こう」(1966)は、最近亡くなった小林亜星さんの作詞・作曲だったそうです。何もかも知らない私です。情けない。
何度もバージョンを変え、歌う人も変わり、映像も変わりしたけれど、ブリヂストンのコマーシャルであるというのは変わりありませんでした。
そして、コマーシャルを見るたびに、曲を思い出して、どこにも行けない自分を感じ、それでも、どこかへ行きたい夢は捨てられず、ただ漠然と旅するイメージをふくらませてくれた、旅ごころをくすぐる歌でした。
もう50年以上お世話になってたんですね。長い付き合いでした。
亜星さんは亡くなってしまいました。ドラマも、作品も、いろいろあるけど、私の心の中に「どこまでも行こう」という曲と、その気分はずっと残っていたようです。そして、何の気なしにふっと出てくる。
たぶん、これからもひとりでクルマに乗りながら、ひとりで歌ってるかもしれないです。でも、あとそんなに何十年も歌い続けるわけではなさそうです。でも、細々と歌っていきたい。
そして、今日の夕方、FMを聞きながら帰ってきました。そうしたら、ゴダイゴのタケカワユキヒデさんが曲を紹介しているようで、何日か前は、ビートルズだったから、今日もそうなの? と思ってたら、サイモンとガーファンクルでした。どうやら、「明日に架ける橋」というアルバムを紹介しているようでした。
タケカワさんのお話は、大学とかで講義をされてるとは思えない、さっぱりした内容で(英語の発音は歌う時と同じでゴテゴテしていて、曲名を言わなくてもいいんじゃないの? と聞きながら不思議に思ってましたけど)、ビートルズにしても、サイモンとガーファンクルにしても、若者たちに興味を持たせてくれる内容ではない感じだった。
でも、「どこまでも行こう」気分だった私は、アルバムの中の「ボクサー」という曲を聞かせてもらって、「ああ、どこまでも行こうというのは、私たちの『ボクサー』であり、ライラライ、ライラライラ らら……というのとつながっている」と納得する気分でした。
「ボクサー」の詩の内容も知らないくせに、勝手に私は旅する音楽だというふうに聞いていて、それと似たものとして「どこまでも行こう」を聞いていた。
どちらも同じ頃に生まれた曲で、10代くらいの私は、よくはわからないけど、旅へのあこがれをかき立てていたようです。
結局、今まで、たいした旅はしていないけど、でも、いつでも旅したい気持ちはずっと持つことができました。
この気持ちはこれからもずっと続くでしょう。そして、ずっとハナウタまじりに立ち向かっていくのだと思います。
そんなに遠くには行けないけど、フラフラどこか、知らない町を旅してみたいです。
亜星さんに感謝したいし、この曲をずっと大事にしてくれた人たちにも感謝です。ありがとうございました!!