甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ワンコとクレーンと心と

2023年06月17日 17時00分38秒 | わたしの好きな絵!

 小川雅章さんという方の絵で、少しだけ私の実家の風景がよみがえってきました。

 とはいうものの、現実は絵の世界とはかなり違うし、何だか私には取り付く島のないものになっていますよ。私のふるさとのはずなのに、無表情になっているんです。知ってる人はどこにもいません。会う人みんなが知らない人になっている。知ってるオバチャンなんていない。全く未知の土地を歩いているような感じ。30年前まで私が住んでた街だし、母は今でもそこで暮らしている。それなのに、現実のふるさとは、私を受け入れてくれない(?)感じなのです。

 何度も書いてるけど、大阪にいる時にすでに違和感みたいなのはあったのかなあ……。

 どうしたんだろう。私がずっと住み続けてたら、どんなになったんだろう。ただの街の変化として私はさびれていく街を受け入れたんだろうか。

 知る人が少ないのは、みんながバラバラになってるだけで、いざ呼びかけたら、知り合いはどこかから現れるかもしれない。でも、今のところ、母と街の公園やらスーパーに行っても、みんな知らない人たちばかりです。そして、みんな私よりも若い人たちという感じがします。私と同年代の人たちはどこへ行っただろう。

 小川さんの絵は、写実のようで、どこか違う。でも、確かにそこにあった私たちの街の風景だと思われます。確かに大阪の海岸部に取材されてはいるけれど、その実際の風景が、小川さんの世界に取り込まれ、再結晶している(当たり前のことですね。写真じゃないんだから)。

 私と同じ、大阪市大正区出身の作家・柴崎友香さんも、小川さんの絵にふるさとを感じ、その絵が今なのか、過去なのか、未来なのか(どちらかというとノスタルジックな感じ)の印象を受けたはずで、「大阪」をテーマとした本の表紙に使わせてもらったみたいです。

 大阪の海側の出身でない方も、そうでない方も、大阪なんて知らない方も、絵の中に何かを見つけられそうな気がします。この吸引力は何だろうね。


 この本も、半分くらいまで読みました。あともう少しだけど、何だか読み終わるのがもったいなくて、いつまでも大阪話を聞かせてもらいたい気になるのでした。

 そう、私の大阪は、現実には、簡単には見られない。大阪を離れた私だからというんじゃなくて、今大阪にいる人たちも、何だかどこに「大阪」があるのかわからなくなっている。昔の大阪はもうなくなっている。何だか違うものになってるから、お話や思い出や空想の世界にしかなくなってしまっている。

 今ある「大阪」は経済であり、万博であり、IRなんでしょう。ちっとも大阪人の心がないじゃないの、と思います。

 上岡龍太郎さんは、もう20年前に「大阪」と関わることをやめて、ずっと距離を置いてきて、ひっそりと亡くなられました。

 もう「大阪」云々ではなくなったんですね。ノックさんがおられたときは、関わる気持ちを持っておられたのに。笑福亭笑瓶さんは、大阪を離れてしまった人でしたね。東京の人になってしまった。たまには大阪へ戻って来られてたですよね。

 2022年に亡くなったと報じられた白木みのるさんは、その1年前にはこの世を去られていた。いろいろと言いたいことはあったでしょうけど、言っても何にもならないですもんね。

 みんな、愛着と自分のルーツを感じつつも、どうにもならない世の中の流れのために「大阪」を(物理的に? 心理的に?)去っていかれた。


 小川さんの絵の中に出てくるワンコも、その失われた「大阪」の象徴であり、小川さんの心の中に生きているワンコさんだったんでしょうか。

 実際に、現場にワンコさんが出かけたことはなくて、小川さんの心の中で愛したワンコさんを、風景の中に入ってもらったそうです。そう思うことで永遠になりますね。それはすばらしいです。

 たぶん、何かをよみがえらせておられるのでしょう。そんなの、難しいし、現実を変えるものではないけど、私たちは現実だけで生きているわけではなくて、お話やら思い出やら、心の中の風景と重ね合わせて現実を生きるっていうことがあるんだと思うな。

 若い人は、とにかく「今」しかないだろうけど、ある程度年を取った人間にはそんな風に二重に「現実」を生きることができるんだよな。

★ 小川さんの本の「Osaka Lonesome Road」から二枚お借りしました。明日まで個展されてるんですけど、私は再訪できない感じです。次こそ、覚悟を決めて行きたいです。

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