
先日、松阪の窯元さんのアトリエ兼住宅を訪ねたとき、そこのお庭も見せてもらいました。
珍しい花があって、私は果物系には弱いから、もうキーウィーの花に心を奪われました。うちの奥さんもひととおりビックリはしていたけれど、栽培している人にはそれほど珍しい花でもなかったのかもしれません。それからしばらくして彼女は「ほら、オダマキの花だよ」と教えてくれても、私は何とも反応しませんでした。
ただ「オダマキ」という名称は、どこかで聞いた覚えがありました。誰の作品だったんだろう。最後にポツリとわざとらしく取り上げられてる感じが、何だか違和感があったんでした。
どんな詩だったのか、全く思い出せないまま、記憶の彼方へ消えていくところでした。

たまたま、「旅の詩集」というのを開いてみたら、ああ、こんなところにありました。割と前半はいい感じじゃないかな。
夜汽車 という朔太郎さんの詩でした。
夜汽車
有明のうすらあかりは
硝子戸(ガラスど)に指のあとつめたく
ほの白みゆく山の端(は)は
みづがねのごとくにしめやかなれども
ただ旅びとのねむりさめやらねば
つかれたる電燈(でんとう)のためいきばかりこちたしや。
まだ続きはあるんですが、夜になろうとしている窓の外、汽車の窓に電灯のあかりが近づき、遠ざかっていく。めんどうな、もうそんなことしなくてもいいよ、みたいなだるい気持ちでいます。
あまたるきにすのにほひも
そこかはとなきまきたばこの烟(けむり)さへ
夜汽車にてあれたる舌には侘(わび)しきを
いかばかり人妻は身にひきつめて嘆くらむ。
突然人妻が出てきました。朔太郎さん以外にもたくさんの乗客がいるんですね。そして、昔の夜汽車は禁煙ではありませんでしたか。ひどい空気なんだけど、換気もできないでモヤモヤした気分でみんな乗ってたんでしょう。穏やかな眠りではないから、舌もザラザラで、胃も荒れてるかもしれないね。お酒も飲んでる人たちもいたことでしょう。
ここに居合わせるのは、とてもしんどいものがありますね。今なら絶対イヤだ。
まだ山科は過ぎずや
空気まくらの口金をゆるめて
そつと息をぬいてみる女ごころ
ふと二人かなしき身をすりよせ
しののめちかき汽車の窓より外をながむれば
ところもしらぬ山里に
さも白く咲きてゐたるをだまきの花。
山科を通るということは、東から西、どこへ向かう旅だったんでしょう。京都は通過点だったのか。
人妻は奥さんでしたか? それとも、この詩の世界の中の男女?
ふたりが寒さに少し身震いして、もう少し姿勢を変えて、夜明けを待ちながら外を見てみたら、白いオダマキの花があったということでした。
それは救いでしたか? うちの奥さんはピンクのも見つけたと言ってましたが、彼女が写真を撮ったのは青いオダマキでした。
私には、これがオダマキだ! という目がないですね。残念です。