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今は、1983年の中公文庫「日本細見」というのを読んでいます。佐渡、鎌倉とキーンさんに連れてってもらって、あれこれ知ったような気になります。鎌倉も、長い間行ってないけど、40年くらい前はよく行きました。今も行けないですね。それは少しザンネンです。コロナも相変らず続いているし、落とし穴はいっぱいです。それに、人込みをかき分けて進まなきゃいけないなんて、考えられないです。
キーンさんは、川端康成さんと瑞泉寺を訪れ、そこで精進料理も食べさせてもらったということでした。もう私なんかがどんなに頑張っても、絶対に無理なシチュエーションです。川端さんは気難しそうだし、いつもクールに微笑んでおられるんでしょうか。まあ、私なんて相手にしてもらえないですね。
でも、ドキドキしながら、お話をうかがえたら、貴重な時間になったことでしょう。貴重どころではないですけど、すごいことです。1973年の秋だったそうです。
ふたりの女性と共に川端康成先生に招かれてこの瑞泉寺で精進料理をご馳走になったことがあった。小雨の降る夜だったが、われわれがこの寺に通じる石段のふもとまで来ると、そのうえのほうに提灯を手にしたひとりの僧侶の姿が、霧にかすんでぼんやりと見えてきた。われわれが石段を登っていくあいだ、その僧侶の姿が霧のなかに見え隠れしていたが、それは、川端先生と瑞泉寺を訪れるには、まさにうってつけの背景だった。
やがて寺院の建物にたどり着いて、なかに入ると、川端先生の字でただ一字「道」と書かれた掛け軸が床の間にかかっていた。すでに外の庭を見るには暗すぎる時刻だったが、そのためほの暗い室内にいっそうの親密さが加わった。料理のほうも、たしかに、わたしがこれまで味わった最高の精進料理だった。
そんな料理食べてみたくなるけど、今ではそういうことはされてないそうです。鎌倉も変わったし、川端先生ももういらっしゃらないですから、無理なんだろうな。
21世紀の今も、20世紀後半のことにこだわってしまう私でした。だから、キーンさんを今さらながら読まなきゃいけないわけだ。大変ですけど、なかなか楽しい。