いつまでこのシリーズ(新十津川物語)を続けられるかわかりませんが、とりあえず、ようやく第一巻を読み終えました。あと九巻ちゃんと読めるんだろうか。自信がありません。
とりあえず、一巻は1889年8月の豪雨災害から、故郷の奈良県十津川村を後にした主人公フキさんが新十津川町で、知り合いの人にあずけられて兄と妹で開拓をしていくまでが書かれていました。
主人公の津田フキさんは、災害にあった時は九歳でした。山津波に両親を奪われ、真ん中の姉とは生き別れてしまい、兄は開拓村から遁走して、天涯孤独。そして、一緒に生活していた家族の家は、火事にみまわれ、フキさんは、しばらく母の異母兄に当たる人の家で下働きをすることになるのでした。
第二巻では、そこから四年が経過して、札幌で暮らしているとうわさされていた兄が舞い戻ってきたところから始まるようですが、まだ読み切れていません。
こうした開拓の物語って、女の人が主人公が多いんだろうか。それとも、たまたま私のまわりで、そういう物語が見えただけなのか。とにかく、頑張る人って、女の人です。男って、何だか意気地がないですなあ。それなりに努力はしているはずなんだけど、目立たないのかなぁ。
朝起きたら、ボンヤリしていると、土曜日なのに、BSでは「おしん」をやっています。今は田中裕子さんが、どこかの町で髪結いやさんの下働きをして、自らの生活を切り開いています。まあ、開拓はしていない。でも、自分の道を模索している感じでした。
その次は、広瀬すずちゃんが、アニメの世界で自分の足場を作ろうともがいているようでした。これも、ついこの間、北海道で酪農をしていたのかと思ってたのに、いつの間にかすずちゃんは都会に出ていました。これまた開拓はしていない。でも、ヒロインとして道を切り開いている。北海道で酪農をがんばって欲しかったんだけどな。
大河ドラマは歴史上の人物なので、男の人が主役になることが多いです。けれど、普通のドラマは、女の子が家族とともに道を切り開いていくパターンになりますね。
ドラマの原作がそうだからかもしれない。女の人は、自らの生涯を題材にした物語を書くと、そこに懸命に生きた姿は描かれるし、彼女たちが生きてきたドラマは、私たちに共感を呼び起こすのです。それくらい力のある、真面目な人生がそこにある。
男のキャラたちは、すずちゃんのドラマでもそうだけれど、お兄ちゃんは何だか当てにならないし、「新十津川物語」のフキちゃんのお兄ちゃんは、人力車の車夫からチンピラになってしまっています。そんなふうにダメキャラになっているけど、そんなにドラマの中の男って、ダメなんですね。がんばる男って、いないもんかなあ。
すずちゃんのドラマの後には、「大草原の小さな家」がデジタルリマスター版で今日から始まりました。
このドラマで育ったうちの奥さんは、もう大感激でずっと見ていました。そして、私も遅まきながら、一時間くらいドラマを見せてもらいました。
カンザスの土地を、自分たちで決めて、そこに根拠地を作っていく感じでした。おうちも、馬小屋も、オオカミとの戦いも、インディアンとの出会いも、何から何まで自分たちで作っていかなくてはなりませんでした。たぶん、衣服も、生活手段も、教育も、人間関係も、何もかもを自らの手と工夫で作り上げること。この姿勢に感心させられました。
私たちは、何でもできあいのものを求め、それが当たり前と思っていますが、開拓者の人たちは、すべてが自分たちの手で作られていくのです。それが不便でもあり、人の知恵の出しどころなのでしょう。
そうしたシンプルな生活を見せてもらい、果たして私は、この人たちみたいな、自分で切り開く生活ができているのかと、暗澹たる気持ちになりました。何もかもがありあわせで、自分で何か作ったら、すぐに壊れてしまうようなポンコツしか作れないし、自分の至らなさだけを感じ、現代どっぷりの、ありあわせ文化の中で生きる自分をつきつけられたのでした。