甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

孔子のことば 学ということ 中思05

2015年10月17日 07時32分55秒 | 中国の思想家のことば
 孔子さんは、学ぶということをずっと続けてこられた方です。だから、終着点はありません。いつも、その年代相応の学ばねばならないことがあるようです。

 だから、私たちは、いつまでも学ぶ気持ちを忘れず、やっていかねばならない。……言うのは簡単だけど、なかなかムズカシイことではあります。どれくらいできるかですね。

 有名なおことばなので、空欄に漢字一字を入れてみてください。

7【学びて時にこれを(     )う 亦た説(よろこ)ばしからずや】……学んだことは、折りにふれて復○すれば、より確実で奥深いものになる。それが学問の喜び!〈学而〉

8【(      )磋琢磨】……人はすぐに自己満足に陥りがちなので、いつも他者の存在を意識して、他者との鍛え合いをしていかねばならない。〈学而〉




 『論語』の冒頭のことばが7番です。有名なことばですが、なかなかハードルが高くて、これでいっぺんに『論語』嫌いを生むかもしれません。

 先生はおっしゃいます。「学び、時に応じてそれを自分のものにする。それはなかなかステキなことです。心を同じくする人が遠くからやって来てくれること、それは貴重なことです。人に評価されなくても腐らずに自分の信じる道を進むこと、それこそが君子というものですよ。」

 どうしてそんな立派な人になれるでしょう。私は、ついサボっちやいますし、友だちが来てくれても、うまくお迎えすることができなくて、そのままやり過ごしてしまってばかりです。……妻もあまり上手ではない感じです。

 そして、自分の道ははっきりとせず、ぼんやり過ごすことばかりです。すべて先生の逆を行っています。もとから見込みがないけど、将来も見込みがないですね。

 でも、努力することが大切です。何でもいいから、興味のあることから学び、何にでも首を突っ込み、好奇心を忘れず、みんなと喜びを分かち合えるよう声かけをして、ブログをしたり、本を読んだり、日記を書いたり、絵も描いたり、家族を大事にしたりしていこうと思います。自分のできることを少しずつやっていきます。

 

 学而編よりもうひとつ。

 お弟子さんの子貢(しこう)さんが言います。「貧しくして諂(へつら)うことなく、富みて驕(おご)ることなきはどうですか?」

 先生はおっしゃいます。「よろしいですよ。いまだ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者の方がすばらしいとは思いますけどね」と。

 貧乏でもこびへつらうことがなく、お金持ちでも威張り散らすことがないのは、そりゃ偉いです。貧乏だとペコペコしたり、お金持ちはつい威張ってしまうのはよくあることです。

 そういう多少の見所のある人よりは、どんな境涯にあろうとも、自分の道を忘れずにしっかり持っていることの方がすばらしい。これは当たり前ですけど、なかなかできません。

 私は、自分の道、見えているでしょうか? 不安になりますよね。そう簡単に見えるものではないのかもしれません。チラチラと見えて、これかもしれない。これをやってこう、とにかく今はこれ! そういうものがあればいいんでしょう!

 気が利くお弟子さんの子貢さんは言います。

 「先生、詩経という本では、切(せっ)するが如(ごと)く、磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く、磨(ま)するが如しとありますが、いつも他人との検証によって、自分を見直し、自分の道を探していくということですね。自分の道って、カンタンにそこにあるわけではないし、人とお互いを磨き合うことで見えてくることがあるということですね。」

 先生はおっしゃいます。「賜(し 子貢さんのこと)や、ともに詩経を語ることができるようになりましたね。前のことを話したら、話さない先のことまでわかってしまうんですから。あなたとの関係もこれで一層深められるというものですね」と。

 孔子先生が、子貢さんのことを認めてあげた1シーンです。それをみんなが聞いていて、忘れずに記録したらしいです。

 貧乏でもへこたれないのはすばらしいというか、人としてぜひそうありたい姿です。私は貧乏の部類ですが、ついつい、こびへつらうようなところがある気がします。それではいけない。もっと高く理想を持って、卑屈になる気持ちを抑えて、まあそれはそれとして、自分はどうあるべきか、これから社会で何ができるのか、それを自分なりに考えることは大切だと思います。そうすれば、自然と卑屈な気持ちもなくなるのかもしれません。孔子先生のおっしゃる通りです。

 そんなことは当たり前で、それをわざわざ先生に質問するということは、子貢さんは、経済的には豊かだったはずだから、自分を「冨みておごることなき」者として見ていたということでしょうか。

 いや、それよりも、謙虚に生きていくということは、何につながるか尋ねたかったんでしょうか。

 そして、答えを自分で古典の中に見つけた。生きることは、切磋琢磨なのだと。




★ 答え   7・習  8・切  でした。


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