昔、うちの奥さんとつきあい始めた頃、よく銀座方面に出かけました。さすが田舎者の2人ですね。おしゃれな人もいるのだと思いますが、田舎者もたくさん押しかける銀座、ハナの東京です。テアトル東京だって、「スターウォーズ 帝国の逆襲」を見ました。もうあれっきりでしたけど、銀座は私たち田舎者を吸い寄せてくれてたんですね。
そういう時、数寄屋橋のそごう経営のレストランみたいなところに入って、カレーライスを食べたんでした。彼女は何を食べたんでしょう。そんなショボクレたデートをしてたんです。道もわからず、わけもなくむやみに歩いていた。
銀座から少しだけ東京駅の方にもどれば、ブリヂストン美術館がありました。そこには1回だけ、彼女と行きました。普段は九州にいるけれど、時々東京に出張してくれる「海の幸」を見るために、長ーい八重洲の地下街をテクテク歩き、ひょっこり地表に出て、しばらくしたらあったような気がします。
「海の幸」は、大きな絵です。そして、未完成だし、あまりキレイでもないし、ハダカのハゲオヤジが何だか不気味だし、みんな無表情に、サメをつかまえてトコトコ歩いています。もっと元気出せよと思ったりするけれど、実際の「海の幸」を見たら、画像で見る印象とかなり違います。
見ていて、ものすごく安心感があります。充足感もあります。男たちの表情も理解できる気がするのです。彼らは、それほど誇らしい気分ではない。とても疲れています。海において、悪戦苦闘して、ジョーズを退治し、その帰りなのです。
どうしてスッポンポンなのか? それはもう、すべてをかなぐり捨てたい気分だからです。それほど彼らは疲れているのです。海で格闘して、もうとにかくこの獲物をみんなで担ぎ出し、まるでお祭りのように、みんなにみせびらかしているのです。ついでに自分たちの疲れた体を投げ出し、みんなの祝福を手に入れようとしている。
そうしたみんなの満足感が、わりとストレートに伝わってくるんです。そのあとに、何だか塗り残しかな……? この雑な線が残ってるけど、これは下絵かな……? 後から、あれこれ疑問のようなものも浮かんでは来ますが、まあ、そんなことはどうだっていいのです。とにかく、私は「海の幸」を目の前にしている。青木繁はこれを描いた。
かわいい彼女だって描いてあって、彼女だけは楚々とした雰囲気で、思わずドッキリさせてくれたりして、彼女の表情に会えるのも、この絵を見る喜びの1つではあります。
それから、私たちは、上野に行ったり、日本橋の高島屋でシャガールを見たり、オーソドックスなデートを繰り返していきました。彼女が東京でお仕事をするようになってからは、あまり美術館に行くチャンスはなくなって、それよりは映画を見たり、横浜見物に行ったり、そんなことを繰り返してました。
それほど私の鑑賞眼も深まらず、ミーハーなところに止まっていたんですね。
今から6年前、京都で青木繁展をやっていて、ふたたび見に行きましたが、うれしかったのと、悲しかったのと2ついっぺんに味わって、さらに青木繁さんがわからなくなったりしました。
うれしかったのは、「わだつみのいろこの宮」を見られたこと。悲しかったのは、晩年の青木繁さんがとんでもない画家さんになっていたこと、あれこれ考え、とにかく新潮美術文庫を買い、生涯の作品を見渡せるようにしました。でも、それっきり会ってないから、しばらく忘れています。
どうして青木繁さんの肩を持つかというと、黒田清輝さんという政権に近いところにいた画家さんは、毎年必ず回顧展があって、今年は東京であるみたいだけど、青木さんはブリヂストン財団が持っているということもあるのかもしれないけれど、あまり脚光を浴びないなと少し思ったんでした。
どこかで、それは東京のブリヂストンなのかな、見に行かないといけないです。
青木さんの晩年のことは、他のところに書きました。また、ご覧ください。よろしくお願いします。