49【野心(やしん)】……身分不相応な望み。→狼の子は、その心は常に山野にあって、あくまで飼い主に反抗するため、人になつかない野生の魂をこのようにいう。《春秋左氏伝・宣公四年》……この狼とセットになる生き物は?
中国の春秋時代、楚の国の司馬[軍事をつかさどる役目・陸軍大臣のような人]であった子良(しりょう)に子どもが生まれます。名は越椒(えつしょう)と言いました。
子良の兄・子文(しぶん)が越椒を見て、こう言いました。
「この子は必ず殺せ。容貌(ようぼう)が熊のようであり、声は狼のようだ。生かしておけば、我が若敖(じゃくごう)一族は必ずや滅びてしまうだろう。ことわざに「狼子野心」とあるように、狼の子はいくら飼い馴(な)らしても最後まで野性の心を失わず、ついにはその飼い主を害してしまうのだ。」
子文さんは、赤ん坊の人相で冷徹に未来を予測したそうです。よほどあれこれ予見できる人だったんですね。甥っ子にそんなことが言えるなんて、普通の次元ではないです。
弟の子良が聞き入れませんでした。お兄さんの子文さんは亡くなる時に一族を集めて、
「椒(しょう 子越・しえつ)が政治を執(と)るようになったら、楚を離れて難を逃れるようにせよ。ああ、若敖氏(じゃくごうし 自分たち一族)の霊魂は餓えることになるだろう。」
とそのような遺言を残しました。
やがて、越椒(えつしょう)は成長した後、名君の楚の荘王(そうおう)に謀反を起こし、若敖一族は滅びることとなったということです。
そんなことが二千数百年前から語られるくらい、中国では人の相を見ることはある程度広まっていたのかもしれません。こうした風貌の人はいつか主人に楯を突くとか、こんな人は絶対に信頼できる顔だとか、顔で未来が予想できたそうです。少し恐ろしいくらいです。
たぶん、私もあなたも、見る人が見たら、簡単に未来が予見できたりするのかもしれない。できれば、そんなことは教えていらないから、せいぜい与えられた人生を生きていきたいというのが私の立場ですけど、未来を知りたい人はいるでしょうね。できれば、私は知りたくないです。
この予言をした子文という人は、字(あざな)が子文で、本名は鬬穀於菟(とう こくおと/とう こうおと)というそうです。春秋時代の楚の宰相(令尹 れいいん 総理大臣ですね)だったそうです。
出生にもヒミツがあるそうで、トラに育てられたという伝説があるそうです。宰相の時にもエピソードがあるみたいだけど、割愛します。
子越の反乱の後、一族はことごとく死んでしまいますが、楚の王様の荘王は、
「あの子文の家系が途絶えたとあっては、私は人に善行を勧めることができなくなる。」と言い、
亡命していた一族の闘克黄(とうこっこう)に跡を継がせたそうです。メデタシメデタシ?
さて、「野心」とは元来、「野性の心」のことで、「人に馴れ親しまず、害を及ぼそうとする心」のことです。それが転じて、「ひそかに抱く大きな望み・野望」のような使われ方をしています。
日本語では、いい意味にも悪い意味にも使われているようです。今は悪い方の意味かな?
次の時代にも「楚」という国は続いていきます。周辺の国という地理的な位置関係もあります。時代が変わるとき、薩摩藩の島津家の周辺。長州藩の毛利家のまわり。肥前佐賀藩の鍋島家のお膝元。土佐藩の山内家の家臣団などのように、みんな周辺から新しい政治勢力が起こりました。
楚も中国の周辺部にあり、いつも中心にプレッシャーを与え続けました。そして、それなりに人物が現れ、国を盛り上げていったようです。この子文(しぶん)という人も、楚の中の大切な人のようです。私は知らなかったんですけど……。
答え 49・虎(トラ)。狼とセットで「虎狼」(ころう)で、どん欲・残忍・恐るべきモノという意味になります。
中国の春秋時代、楚の国の司馬[軍事をつかさどる役目・陸軍大臣のような人]であった子良(しりょう)に子どもが生まれます。名は越椒(えつしょう)と言いました。
子良の兄・子文(しぶん)が越椒を見て、こう言いました。
「この子は必ず殺せ。容貌(ようぼう)が熊のようであり、声は狼のようだ。生かしておけば、我が若敖(じゃくごう)一族は必ずや滅びてしまうだろう。ことわざに「狼子野心」とあるように、狼の子はいくら飼い馴(な)らしても最後まで野性の心を失わず、ついにはその飼い主を害してしまうのだ。」
子文さんは、赤ん坊の人相で冷徹に未来を予測したそうです。よほどあれこれ予見できる人だったんですね。甥っ子にそんなことが言えるなんて、普通の次元ではないです。
弟の子良が聞き入れませんでした。お兄さんの子文さんは亡くなる時に一族を集めて、
「椒(しょう 子越・しえつ)が政治を執(と)るようになったら、楚を離れて難を逃れるようにせよ。ああ、若敖氏(じゃくごうし 自分たち一族)の霊魂は餓えることになるだろう。」
とそのような遺言を残しました。
やがて、越椒(えつしょう)は成長した後、名君の楚の荘王(そうおう)に謀反を起こし、若敖一族は滅びることとなったということです。
そんなことが二千数百年前から語られるくらい、中国では人の相を見ることはある程度広まっていたのかもしれません。こうした風貌の人はいつか主人に楯を突くとか、こんな人は絶対に信頼できる顔だとか、顔で未来が予想できたそうです。少し恐ろしいくらいです。
たぶん、私もあなたも、見る人が見たら、簡単に未来が予見できたりするのかもしれない。できれば、そんなことは教えていらないから、せいぜい与えられた人生を生きていきたいというのが私の立場ですけど、未来を知りたい人はいるでしょうね。できれば、私は知りたくないです。
この予言をした子文という人は、字(あざな)が子文で、本名は鬬穀於菟(とう こくおと/とう こうおと)というそうです。春秋時代の楚の宰相(令尹 れいいん 総理大臣ですね)だったそうです。
出生にもヒミツがあるそうで、トラに育てられたという伝説があるそうです。宰相の時にもエピソードがあるみたいだけど、割愛します。
子越の反乱の後、一族はことごとく死んでしまいますが、楚の王様の荘王は、
「あの子文の家系が途絶えたとあっては、私は人に善行を勧めることができなくなる。」と言い、
亡命していた一族の闘克黄(とうこっこう)に跡を継がせたそうです。メデタシメデタシ?
さて、「野心」とは元来、「野性の心」のことで、「人に馴れ親しまず、害を及ぼそうとする心」のことです。それが転じて、「ひそかに抱く大きな望み・野望」のような使われ方をしています。
日本語では、いい意味にも悪い意味にも使われているようです。今は悪い方の意味かな?
次の時代にも「楚」という国は続いていきます。周辺の国という地理的な位置関係もあります。時代が変わるとき、薩摩藩の島津家の周辺。長州藩の毛利家のまわり。肥前佐賀藩の鍋島家のお膝元。土佐藩の山内家の家臣団などのように、みんな周辺から新しい政治勢力が起こりました。
楚も中国の周辺部にあり、いつも中心にプレッシャーを与え続けました。そして、それなりに人物が現れ、国を盛り上げていったようです。この子文(しぶん)という人も、楚の中の大切な人のようです。私は知らなかったんですけど……。
答え 49・虎(トラ)。狼とセットで「虎狼」(ころう)で、どん欲・残忍・恐るべきモノという意味になります。