
中学校の担任をしていただいたY先生に年賀状を出すと、読みにくいけど、何だかありがたい感じの文字の返事に二言三言ことばが添えてあったものでした。いよいよありがたいおことばを胸に、私はそれから何度も、年末になると見返すのでした。いつの間にか私の理想の文字というのは、Y先生みたいなさらりとした切りっぱなしの文字になりました。なかなかそこまで行けてないけど、あこがれの文字であるのは確かです。
なのに、先生に年賀状を出さなくなったのは、私のグータラのせいでした。先生のおことばをいただけなくなって、もう40年ほどが経過したのかもしれません。あれから私は、どれだけ立派になったのでしょう。
中学の時よりも小さくなり(1cm縮みました)、頭もパーになり、動きはどんくさく、ダメな部分の方が多くなったような気がします。人はカンタンに年を取るものなんですね、何もしないと……。何かしたら、永遠に年を取らない場合だってあるのに、私みたいな凡人は、たらふく年を取って、どんどんオジイさんになっていくようです。
その私の原点の1つとして、「雨に唄えば」があります。小学校の4年生から、テレビで洋画劇場を見て、次の日はみんなで前日の映画の話をみんなでする男の子たちだったので、西部劇やアクションものはみんな手に汗して見ました。そして、感動の名作には、小学生のくせに泣くこともあったような気がします。
全く憶えていない、あまり有名でない刑務所映画で感動して泣いたことが一度だけありますが、それが何という作品だったのか、もう永遠に霧の中に消えていきました。とにかく感動した体験がありました。
そんな私たちなので、大きくなってもアクションと戦争映画など、わかりやすい明快な物語が好きでした。それが中学生になり、少しずつ好みが変わっていきました。
近所のオバチャンにパール・バックの「大地」2冊を河出の世界全集版でもらって、それを数ヶ月かかって読み通し、何だか中国通・近代史通になった気分で、調子に乗ってショーロホフの「静かなるドン」3巻は自分で買い、これは1年くらいかかってやっと読み通したようで、何だかにわか文学ファンになってしまいます。
だから、アクションよりは、歴史や文学の香りのするモノが少しずつ好きになっていきました。そうなると、70年代半ばのブルース・リーのカンフーものも全然興味がなくて、みんなの熱狂から遠ざかってしまい、みんなでおしゃべりすることがなくなりました。へんてこりんな文学かぶれ野郎になっていました。
そこで、フジ系は土曜だかに、和田誠さんのイラストの土曜ロードショーというワクがあって、たしかここで高島忠夫さんが解説者として「雨に唄えば」を取り上げてくれたような気がします。ひょっとしたらまちがいかもしれません。けれども、とにかく映画から20年後にテレビで取り上げてくれた。
そして、私は初めてのミュージカルにものすごく感動して、フレッド・アステアよりなにより、もう絶対ジーン・ケリーのファンになったのです。それだけじゃなくて、ヒロインのデビー・レイノルズさんも、オトボケ役のドナルド・オコナーさんも、もう3人とも大好きになりました。それくらいミユージカルといえば、「雨に唄えば」になってしまいました。
今ではこの名作が1本200円とかで取り引きされて、なんとも言えない不条理を感じたりしますが、そんな安値で手に入れようという人はいないでしょうし、やはり「雨に唄えば」はファンにとっては、永遠の存在になっていると思います。

なかなか映画そのものに近づけていないですね。感動したのはわかったから、それはどうしてなのか、それを書かなきゃいけません。
映画は、サイレント時代にさかのぼります。だから、たぶん1920年とか、映画製作の時代からも一昔以上前の時代を取り上げています。
サイレント映画のスターがいて、いつもたくさんのファンに追いかけ回されています。チャップリンがイギリスからハリウッドに渡ってきたころです。ハリウッドは、次から次と映画を製作しますが、セリフは録音されないので、いいかげんなことをしゃべりつつ、恋やケンカやアクションの場面を撮影し、それをつなげて物語を作り上げているようでした。
映画の中のスターのG・ケリーは少しだけうんざりしながら、大仰な芝居をして、写真を撮られています。演技をしているという感じではなかった。いつもの相手役の女の人は、映画界ではスターだけれど、実際にお客さんを目の前にすると、ものすごいダミ声なので、だれも彼女にしゃべらせない暗黙の了解もできてたりしました。映画の世界はそれこそ虚像の世界であったのです。
そんなある時、パーティに招かれたジーン・ケリーは、たまたまクルマに乗せてもらった女性に、映画の世界なんて演技はないし、びっくりしたり、わざとらしいふりをしたり、そんなことばかりよと言われてしまうのでした。少しプライドを傷つけられたジーン・ケリーは、それなら君はどんな仕事をしているんだい? と尋ねると、私はダンサーよ、と聞かされます。ほほー、どんなすごい踊りをしているのやら、見てみたいものだと言って別れたら、なんとパーティのにぎやかしのダンサーの1人だった。これまたびっくりで、ジーン・ケリーは見つけた彼女に突っかかっていくのでした。

彼女が、デビー・レイノルズさんで、お嬢さんは「スター・ウォーズ」のレイア姫のキャリー・フイッシャーさんでした。とてもシャキシャキ、シャープな動きと、生意気で、自己主張をしっかりする、いかにもできる元気なアメリカ娘さんを演じています。
出会いは、少しとんがった出会いであったけれど、少しずつひかれ合った2人は、やがて制作中のサイレント映画をトーキー(せりふと動きがシンクロする映画)を作ることになって、ダミ声の女優さんの声を、デビー・レイノルズさんが吹き替えするアイデアを徹夜明けした雨の朝に思いついて、3人で「グッドモーニング」を歌って、気分爽快になり、その朝の締めくくりは、ジーン・ケリーさんがデビー・レイノルズさんちまで送っていって、その帰りに、「どんな雨だって、かかってこいよ。ボクはとてもしあわせだい」と歌うシーンにつながり、最後は吹き替えはこの人がやってたんですというどんでんがえしみたいなのがあって、ハッピーエンドになるんです。

もとからハッピーエンドになるのはわかっているのです。でも、ミュージカルは、そこへ行くシーンと歌の積み重ねで、それぞれをお客も一緒に楽しむことになっていて、私なんかは、しあわせなシーンがあると、もうボロボロ泣けてしまうんです。「なんで、こんなにしあわせな場面があるんだろう」というところから来るのだと思われますが、とにかく泣けて泣けて……。
紹介どころじゃないですね。おじいの昔話でした。失礼しました。サントラのCDを買って、クルマの中で1人で泣くことにします! オジイのショボクレ趣味ですなあ。