甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

11/3 氏郷(うじさと)まつり 松阪

2015年11月03日 17時47分38秒 | 松阪探検メモ
 松阪に住んで20年目になりますが、初めて氏郷(うじさと)まつりに参加しました。

 うちの家族は、昔、奥さんもこどもも、仮装行列がある時代に、もう十数年前に、エルマーとりゅうのりゅうを作って、それを御神輿みたいにしてパレードしたようです。その写真は、うちには残っていないけれど、どうしてそれを私は写真を撮りに行かなかったんでしょう。今さらながらザンネンです。

 りゅうは、翼が動く仕掛けをしてあったということですから、凝ったつくりだったと思われます。なのに、そんなこととはつゆ知らず、パレードを見に行くことをしなかった私、何という夫なのでしょう。つくづくダメな自分を反省してしまいます。

 もう時間は戻らないし、せいぜい家族の晴れ舞台には参加して、励ましてあげないといけないと思いました。奥さんが「来るな」と言ったって、何が何でも行くようにしないといけないです。



 十数年前は、どうして行かなかったのか、「来るな」と言われたわけではありませんが、お祭りには参加しませんでした。……松阪のお祭りは、一度参加したら、次はもういいかなというお祭りが多くて、夏の祇園祭も、何だか参加したくないのです。暑苦しいというのか、作り物っぽいというのか、何だか自然ではなくて、何だか商工会の企画したイベントみたいな、無理矢理な気がします。

 自分の無理矢理は許すくせに、他人の無理矢理には不寛容な私です。ああ、何というワガママというのか、ひねくれジジイというのか、ゆとりのない私です。

 その反省の意味も込めて(?)、初めての氏郷まつりです。



 そもそも蒲生氏郷(がもううじさと)とはだれでしょう。安土桃山時代、信長さんが京へのルートとして近江を攻略し、そこで部下のみなさんも近江でいろんな人をスカウトして、秀吉さんもその流れの中で石田三成さんとか、信頼できる人材を見つけて行ったと思うのですが、そのようにして見出されたのが氏郷さんのような気がします。

 すでにある程度の存在として輝いていたのかもしれないけど、とにかく、期待されて氏郷さんは、滋賀県の東部の日野町あたりから出て、秀吉の傘下に入った。

 松阪で大名になった時に、海側にあった街道を、内陸に引き入れ、お城も、海側にあったものを突貫工事で移動させ、現在の松阪城あたりに一気に持っていきました。

 近江商人も参加して、松阪の経営が始まり、「松坂」という町がスタートしました。ここで商売人や、紀州の殿様や、宣長さんや、三井さんのルーツが生まれたりしますが、始まりは氏郷さんの城下町だったのです。

 けれども、その後、氏郷さんは、引き抜かれて、会津若松あたりで百万石くらいの大名になります。それは家康への抑えとして、秀吉さんの切り札は氏郷さんで、そこで力を持たせて、家康さんが身動きがとれないようにさせたつもりだった。

 ザンネンながら、秀吉さんは亡くなり、肝心の氏郷さんもいなくなり、家康さんは自由になって、やおら天下取りを始めたということになりますか。調べていないけれど、氏郷さんが長生きしたら、徳川の天下もどうだったかわからなかった訳で、日本の歴史に関わる大事な存在だったような気がします。

 そんな人が、現在十数万の人が住む松阪の基礎をつくりました。「ブラタモリ」の取材が来たら、あれこれ回るところはあるような気がします。昔は路面電車やら、松阪電鉄があったり、鉄道だっていろいろあったんですけどね。でも、現在がそれほど世の中で注目されている町ではないから、新幹線とか、新空港とか、お城を復元とか、よっぽどの話題性がない限り、タモリさんも来てくれないでしょう。



 氏郷さんは、とんがった甲冑(かっちゅう)をかぶっていたとされていて、イラスト化される場合は、たいていこのお姿です。しょっちゅう戦争していたわけではないから、これは非常時の装いだと思うのですが、イメージですから仕方ないのかもしれない。

 そうです。今回すべての行列を見ましたが、みんなよろい・かぶとを着けていないといけない感じで、鉄砲隊・槍部隊など、戦時を意識した行列です。ものものしい感じです。
 
 大名行列ではなくて、氏郷さんをイメージすると、氏郷さんは短い間に、近江→伊勢・松阪→会津若松と、出世して大きくなっていったのは、やはり戦い中心だったので、そうなってしまうのかもしれません。

 江戸時代に、松阪に有名な殿様でもいたら、そちらを使ったイメージ戦略ができますが、江戸時代は、ずっと紀州徳川家の領地になっていて、お城もその管轄なので、一国一城とはいえ、あまりに遠いので、その出張所的なお城の役割なので、フォーマットは氏郷さんで、それに乗っかって、紀州の殿様の管理下になり、お城は顔のない支配者であって、市民は、紀州徳川家の管轄下にあるけれど、殿様はだれ? その人はどこにいるの? お城の中のトップは何て言う役割の人? 家老? と、あまり支配者を意識することなく、ただ城下町の中で、自分たちの暮らしを広げていったわけで、加賀百万石の前田家とか、肥前佐賀の鍋島家とか、福岡の黒田家とか、長州の毛利家とか、そういうものを持たずに江戸時代を通ってきたわけです。

 ちょうど主を失った大坂はずっと秀吉さんを恋しがったように、松坂も氏郷さんを少しだけ恋しがったわけです。それで氏郷まつりです。もう20年以上はやっているんでしょう。



 冬姫って、だれでしょう?



 のんきな甲冑行列です。



 三重県浴場組合のテントで、「三重の銭湯」という冊子を400円で買いました。これから温泉も行きたいけど、銭湯も制覇したい感じです。



 移動動物園のロバさんの横顔も撮りました。



 いつものお城の歯医者さんも撮りました。そして、足の太いネコさんも撮りました。





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