金子光晴さんは、あこがれの詩人です。私も詩人のように、世界を旅していろいろなことを考えてみたいです。自分の状況を嘆かず、少しでも近づけるように努力することが大切です。
だから、せいぜい金子さんの詩を鑑賞します。さあ、できるかな。
★ 富 士
金子 光晴
重箱のように
狭っくるしいこの日本。
すみからすみまでみみっちく
俺達は数えあげられているのだ。
そして、失礼千万(しつれいせんばん)にも
俺達を召集(しょうしゅう)しやがるんだ。
戸籍簿よ。早く焼けてしまえ。
誰も。俺の息子をおぼえてるな。
息子よ。
この手のひらにもみこまれていろ。
帽子のうらへ一時、消えていろ。
父と母とは、裾野(すその)の宿で
一晩じゅう、そのことを話した。
裾野(すその)の枯林(こりん)をぬらして
小枝をピシピシ折るような音を立てて
夜どおし、雨がふっていた。
息子よ。ずぶぬれになったお前が
重たい銃を曳(ひ)きずりながら、喘(あえ)ぎながら
自失(じしつ)したようにあるいている。それはどこだ?
どこだかわからない。が、そのお前を
父と母とがあてどなくさがしに出る
そんな夢ばかりのいやな一夜が
長い、不安な夜がやっと明ける。
雨はやんでいる。
息子のいないうつろな空に
なんだ。糞面白(くそおもしろ)くもない
あらいざらした浴衣(ゆかた)のような
富士。
* 時の流れに、たったひとり、抵抗して、ふみとどまるのは、どんなに大きな勇気 を必要としたことでしょう。金子光晴がもっともたいせつにしたのは「個人」というものでした。国家権力にも強制された思想にも、そっぽをむいて、「自分自身の 頭で考える、自分自身のからだで感じとる」という根本の権利を、なにものにもゆずりわたそうとしませんでした。
これはごくあたりまえで、単純なことのようにみえますが、日本人にとって、もっともにがてなことなのでした。〈茨木のり子『うたの心に生きた人々』より〉
* 金子さんの詩と、茨木のり子さんのことばを添えてみました。これらはもう過去のことだと思っていました。七十年前にものすごく反省した日本は、もうそんなバカなことはしないだろうと、私は数十年しか生きていないけれど、きっとそうなのだと安心しきっていました。
ところが、今、うっかりしていると、うちの子だって、中東に行かされたり、南シナ海に派遣されたり、日本海で船に乗らなきゃいけなくなったりするかもしれない。
そういう使命を、すべての若者に平等に与えられるように、政府のみなさんは考えてくださっているようです。うちの子なぞは、真っ先に指名されて、真っ先に危ないところで奮闘させられるかも知れない。そんなことなら、年を取った私が代わりに行ってあげねばならないですが、そんなことをしたら、若い人の戦場に行かされる権利を邪魔することになるので、やはり若い人優先になるのかな。
何とありがたいことでしょう。日本という国は、どこと戦おうとしているのでしょう。そんなことをしないでいいように外交というものがあるんじゃないですか。そんなことにならないために、世界全体が1つになった経済システムがあるんじゃないですか。
ロシアにしても、シリアにしても、ウクライナにしても、ナイジェリアも、イラクも、国のお偉方がわがままでムチャクチャなことをするわけで、本来であれば国民は関係のないはずなのに、一応そうした無法政府を選んだということになっているから、義務を負わせられるのでしょうか。
とにかく、政府って、よその国に対してはムチャクチャなことをするものだと思っておかなくてはならない。
だから、そんな人たちから、大事な子どもを金子さんは隠したかった。けれども、政府は探しに来る。だから、親は恐ろしい悪夢を見てしまう。夢から覚めたら、何も責任はないような、きれいさっぱりとした富士山が見えたというのです。それが悲しくなります。富士山に毒づいたくなります。こんなにさっぱりして日本の空にそびえて、若者たちを黙って見送る富士山に、何とかしてくれと祈るような、祈ってもどうにもならない虚しさと、そんなこんなで富士山に毒づいたけれど、やはり救いを求めている感じですね。
雨が降り続く梅雨の日本、政府のみなさんは強引に法案を通すことでしょう。よろしい、せいぜいそれらが無効になるように、民間の力で周辺の国々と交流したいと思います。
だから、せいぜい金子さんの詩を鑑賞します。さあ、できるかな。
★ 富 士
金子 光晴
重箱のように
狭っくるしいこの日本。
すみからすみまでみみっちく
俺達は数えあげられているのだ。
そして、失礼千万(しつれいせんばん)にも
俺達を召集(しょうしゅう)しやがるんだ。
戸籍簿よ。早く焼けてしまえ。
誰も。俺の息子をおぼえてるな。
息子よ。
この手のひらにもみこまれていろ。
帽子のうらへ一時、消えていろ。
父と母とは、裾野(すその)の宿で
一晩じゅう、そのことを話した。
裾野(すその)の枯林(こりん)をぬらして
小枝をピシピシ折るような音を立てて
夜どおし、雨がふっていた。
息子よ。ずぶぬれになったお前が
重たい銃を曳(ひ)きずりながら、喘(あえ)ぎながら
自失(じしつ)したようにあるいている。それはどこだ?
どこだかわからない。が、そのお前を
父と母とがあてどなくさがしに出る
そんな夢ばかりのいやな一夜が
長い、不安な夜がやっと明ける。
雨はやんでいる。
息子のいないうつろな空に
なんだ。糞面白(くそおもしろ)くもない
あらいざらした浴衣(ゆかた)のような
富士。
* 時の流れに、たったひとり、抵抗して、ふみとどまるのは、どんなに大きな勇気 を必要としたことでしょう。金子光晴がもっともたいせつにしたのは「個人」というものでした。国家権力にも強制された思想にも、そっぽをむいて、「自分自身の 頭で考える、自分自身のからだで感じとる」という根本の権利を、なにものにもゆずりわたそうとしませんでした。
これはごくあたりまえで、単純なことのようにみえますが、日本人にとって、もっともにがてなことなのでした。〈茨木のり子『うたの心に生きた人々』より〉
* 金子さんの詩と、茨木のり子さんのことばを添えてみました。これらはもう過去のことだと思っていました。七十年前にものすごく反省した日本は、もうそんなバカなことはしないだろうと、私は数十年しか生きていないけれど、きっとそうなのだと安心しきっていました。
ところが、今、うっかりしていると、うちの子だって、中東に行かされたり、南シナ海に派遣されたり、日本海で船に乗らなきゃいけなくなったりするかもしれない。
そういう使命を、すべての若者に平等に与えられるように、政府のみなさんは考えてくださっているようです。うちの子なぞは、真っ先に指名されて、真っ先に危ないところで奮闘させられるかも知れない。そんなことなら、年を取った私が代わりに行ってあげねばならないですが、そんなことをしたら、若い人の戦場に行かされる権利を邪魔することになるので、やはり若い人優先になるのかな。
何とありがたいことでしょう。日本という国は、どこと戦おうとしているのでしょう。そんなことをしないでいいように外交というものがあるんじゃないですか。そんなことにならないために、世界全体が1つになった経済システムがあるんじゃないですか。
ロシアにしても、シリアにしても、ウクライナにしても、ナイジェリアも、イラクも、国のお偉方がわがままでムチャクチャなことをするわけで、本来であれば国民は関係のないはずなのに、一応そうした無法政府を選んだということになっているから、義務を負わせられるのでしょうか。
とにかく、政府って、よその国に対してはムチャクチャなことをするものだと思っておかなくてはならない。
だから、そんな人たちから、大事な子どもを金子さんは隠したかった。けれども、政府は探しに来る。だから、親は恐ろしい悪夢を見てしまう。夢から覚めたら、何も責任はないような、きれいさっぱりとした富士山が見えたというのです。それが悲しくなります。富士山に毒づいたくなります。こんなにさっぱりして日本の空にそびえて、若者たちを黙って見送る富士山に、何とかしてくれと祈るような、祈ってもどうにもならない虚しさと、そんなこんなで富士山に毒づいたけれど、やはり救いを求めている感じですね。
雨が降り続く梅雨の日本、政府のみなさんは強引に法案を通すことでしょう。よろしい、せいぜいそれらが無効になるように、民間の力で周辺の国々と交流したいと思います。