オノ・ヨーコさんは、ジョンをたぶらかしたとんでもない悪女だと思っていました。
あごがシャクレているのも気に入らなかった。顔がオバサンなのに、ジョンさんとキスなんかしている姿を公然としているのも気に入らなかった。もう、彼女の行いの何もかもが気に入らなかった。
そして、彼女のせいで、ジョン・レノンという才能が骨抜きになり、もっと社会に貢献できるはずなのに、1人の東洋人女性と結婚してしまったせいで、ものすごく社会的な損害を受けているのだ、と思っていました。
実は、それは私がただ世間の声みたいなのを鵜呑みにしていただけでした。いや、ジョン・レノンという人さえ、まともに知らない私が、生意気にオノ・ヨーコさんをとんでもない女だと思っていました。
今なら、音楽業界のいじましさ・非人間的な・殺人的なところから、ジョン・レノンを助け出して、彼に愛情を与えた、彼の救世主というか、唯一の希望がヨーコさんだったのだと思えます。
でも、音楽業界で儲けようと思っていた人は、ヨーコさんを憎んだことでしょう。何しろ、ジョンさんが何か作品を出せば確実に売れたと思うし、多くの人がジョンさんを支持していた。それを彼女が独り占めにした、そう思ってたかな。いや、儲かるネタを盗まれたとでも思った?
ジョンさんは音楽業界と縁を切り、彼女と、彼女との間にできた男の子のショーンと、3人で自分たちの生活空間の中で、愛にあふれた生活を送りました。ジョンさんには、その生活が必要だった。というのか、自分を救済するためにお仕事を休んだ。
ジョンさんは、60年代初めから70年代にかけて、走りまくったのでしょう。走りまくってない私がいうのも何ですが、そりゃきっと想像を絶する、殺人的なスケジュールの生活だったでしょう。
どんなに才能があったとしても、どんなにタフな体力があったとしても、心身ともに疲れたことでしょう。そして、休憩が必要になり、ヨーコさんというパートナーを見つけて、ジョンさんは80年になるまで数年休憩をした。そして、英気を養い、ふたたび活動をしようと決めて、パートナーのヨーコさんと二人三脚の音楽活動を始めた。
1980年、近いと言えば近く、遠いと言えば遠い、35年前、「ダブル・ファンタジー」というアルバムが登場しました。
当時の私は聞いてみても、よくはわかりませんでした。これは名作なのか、それともひまつぶしで作ったのか、ジョンさんとヨーコさんの作品が交互に出できて、ヨーコさんの曲が出る度にイライラしたものでした。
私は、とりあえずジョン・レノンという、元ビートルズの主要メンバーの作品が聞きたいのであり、日本の変なオバサンの甲高い、素っ頓狂な作品にはウンザリしたのです。なのに、昔はカセットしかないので、いちいち止めて、テープを先送りしなくちゃいけませんでした。それが面倒なら、しばらく我慢してヨーコさんの歌声を聞かなきゃいけない。かくしてモヤモヤしながら、イマイチ好きになれなかった。
「ウーマン」という曲がシングルカットされ、それなりにヒットして、内容はよくはわからないけれど、ジョンさんがヨーコさんを通じて癒されている雰囲気が出ているのかも? と思ったのです。だから、ゆったりした雰囲気はいいのだけれど、歌われてるのがヨーコさんじゃ、何だか味わい半減だなとか思っていたでしょう。
久しぶりにアルバムを出した。音楽業界は狂喜乱舞して飛びつき、喝采した。
ところが、太平洋戦争の開始日(日本側の)の12月8日の次の日だったか、ジョンさんは、自宅のビルの入り口のあたりでファンに暗殺されてしまう。
ファンは、悠々自適で音楽活動して、妻と一緒にゆったり活動するのが許せなかったのかもしれません。本当なら、ポールさんと一緒のジイサンになってもよかったジョンさんは、そこでプツリと人生が終わってしまいます。
私は、どうしてそんなことをするのか、わからなかった。けれど、あまりにジョンさんが自分の人生を大事にし過ぎ、家族を愛し、世間から遠ざかり、のんびり暮らしているように見えたのが許せなかったから、そんなことしたのか? とか思ったかな。ファンはもっと自分をかまってほしかったのかもしれない。
それはファンのわがままで、アーチストにはアーチスト自身の人生があるのだから、それは当然尊重されるべきはずなのに、当時のファンは、自分に奉仕してくれないアーチストがゆるせないという、とんでもないわがまま妄想を作る人だっていたということです(ファンのわがままは今も同じですね)。
たぶん、そうした妄想ファンの暴走で、ジョンさんは亡くなってしまった。とても悲しいことでした。でも、当時の私は、それがどういうことなのか、イマイチわからなかった。そして、ジョンさんの死も、ジョンさんの曲を聴いて、わかったような、わからないような気持ちになっていたのです。
しばらくして、「ミルク・アンド・ハニー」というアルバムが出ます。すでに2枚分くらいの曲のストックがあって、そこからを再編集し直してまとめられたアルバムでした。
ですから、ジョンさんの歌声は、イマイチ完成度が低いような気がしました。こっちがそう聞くせいなのか、どこか上の空の歌声でした。でも、ヨーコさんは違いました。ここでヨーコさんの「Let me count the ways」という曲があって、これはとても胸にしみる曲でした。
内容はよくはわからないけれど、ヨーコさんが、亡くなったジョンさんを思っている感じがストレートに伝わるし、英語のできない私でも、日常のいろんな時に、あなたを感じ、しあわせを感じ、生きているのを感じたのよ、というのが歌われているような気がしました。
そして、今さらながら、ジョンさんたちの人生を感じたものです。ジョンさんは亡くなってしまった。でも、残されたヨーコさんはずっとジョンさんを愛しているし、ジョンさんも濃密な時間をヨーコさんと過ごすことができた。本来なら、それはもっと長続きしなければならないものだったけれど、人気者稼業のジョンさんは、ねたまれて殺されてしまう。あまりにしあわせすぎて、それをねたんだとんでもないヤツににらまれてしまった。
本来なら、密かに自分たちの愛の世界にいれば、こもっていればそれなりに過ごせたのかもしれない。けれども、いつまでも黙っている人でもなくて、ジョンさんは自分たちの愛を、みんなに伝えたい人だった。ヨーコさんはその良きパートナーだった。だから、2人でアルバムを出した。それがまたねたみの対象になってしまった。
ああ、残念です。ジョンさんとヨーコさんが黙ったままだったら、だれもねたみはしなかった。2人はそのまま老人になったのかもしれない。でも、2人はいつまでも黙っている人ではなく、愛を高らかに歌い、平和や家族や夫婦の愛を伝えずにはいられなかった。
そして、ファンは暴挙に出た。仕方がないので、ヨーコさんのことばを胸に刻んで、明日からまたやっていこうと思います。
Let me count the ways how I love you
It's like that gentle wind you feel at dawn
It's like that first sun that hits the dew
It's like that cloud with a gold lining
Telling us softly
That it'll be a good day, a good day for us
Thank you, thank you, thank you
私は、ヨーコさんにもサンキューだし、今さらながらジョンさんも、ポールさんもサンキューで、ジョージさんも、リンゴさんも、ついでにうちの奥さんにも、こどもにもサンキューです。
そして、Let me count the ways how I love you です。
それくらいちゃんと自分ができているか、見直してみたいです。