甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

孔子さんの物語、中勘助さんの詩から

2022年12月13日 21時10分52秒 | 中国の思想家のことば

 中勘助さんという『銀の匙』という小説が知られている作家さんがいます。詩も書いておられて、その詩集を昨日やっと読み終えました。

 有名な方たちを題材にした、子どもたちに聞かせるような、おとぎ話のような詩を書いておられます。でも、今の子には、何のことやら、わからないでしょうね。題名は「墳」とだけあります。「つか」と読むのか、「はか」と読むのか、それとも「ふん」なんだろうか。

   墳

あるとき子貢が孔子に問うた
私は今学に倦(う)み道に困(くる)しんでをります
どうか君につかへて息(いこ)ひたいと思ひますかいかがでせうか
孔子 詩に 温恭(おんきょう)に朝夕し事を執りてつつしむ とある

 お弟子さんの子貢さんが質問しました。先生は、何もかも答えてあげる人ではありません。質問者が自分で気づくように話してあげなくてはなりません。

君に事(つか)へることは難(かた)い どうして息はれようぞ
子貢 それなら親に事へませう
孔子 親に事へることは難い どうして息はれようぞ
それなら妻子に息ひませう
妻子を養ふことは難い どうして息はれようぞ
それなら朋友に息ひませう
朋友と交(まじわ)ることは難い どうして息はれようぞ

 なかなか答えに結び付きません。主君、親、妻子、友だち、どれも大事だけれど、どれも本当の救いや癒しにはならないというのです。

 今の若い人が聞いたら卒倒しますね。今の若い人は、家族や仕事が大事で、目の前のことをとにかく一生懸命に励んで、そして光明を見つけようとしているんですよ。それらを先生はすべて否定しておられます。

 確かに、どれも大事ではあるけれど、落ち着かなくさせる原因になる時もありますね。どうしたらいいんだろう。



それなら農耕に息ひませう
詩に 昼は汝(なんじ)ゆきてちがや刈れ
夜は縄なへ
すみやかに屋にのぼれ
それ百穀をまきはじめよ とある
農耕は難い どうして息はれようぞ

 見方を変えて、生きていく基本となる、自らを養う唯一の方法の農業を提案しています。これは、憩い・休息になるし、尊いものではないですか。なのに、確かに農作物を作ろうとすると、これまた落ち着きを失います。いつまでもどのように実るのか、気が気ではないでしょう。

子貢 それでは私は息ふところがないのでせうか
孔子 たつた一つある
あのうづたかい墳をごらん
あれが息ふべきところぢゃ
子貢が感嘆していつた
大なるかな死や
君子もそこに息ひ
小人もそこに息ふ
大なるかな死や

 理論派の子貢さんなのに、そんなに簡単に先生の提案をうけいれていいのでしょうか。何だか不思議です。

そこで孔子がいつた
賜(し 子貢さんのこと)や おまへわかつたか
人はみな生の楽しみを知つて生の苦しみを知らん
老いの疲れなることを知つて老いの安らかなることを知らん
死の悪(にく)むべきことを知つて死の息ひなることを知らん と

 私は、孔子先生は「死」を語らない人だと思っています。だから、この話の流れには意義があります。けれども、中勘助さんは、生きること、死んでいくこと、生活すること、いろんな人がいること、身のまわりのことに素直にふれていこうとする人であったというの知っています。

 随筆集もずっと読んでますけど、たくさんのまわりの人たちの「死」を取り上げています。「死」は何度も話題にして、その人が生きていたことも振り返る材料にはなりました。

 目を背けてても、「死」を知ったことにはなりません。あまり話したくないということで、知らんぷりするのもいけないのでしょう。

 死とは何か、「論語」を読むテーマが見つかりましたね。また何か月もかかるかもしれません。気が遠くなりますね。

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