なかなか他人様の俳句なんて、スンナリ納得できるものではありません。そして、どんなにエライ俳句の先生が褒めておられても、「ああ、そんなものか」と思うだけで、私みたいな凡人にはちっとも心に残らないし、すぐに忘れてしまうものなんでしょう。
だったら、永遠に他人の俳句がわからない、そういう恐ろしさもあります。私たちは、どんなに心を込めて作ったとしても(語りかけたとしても)、相手の心に届かない生き物なのかもしれない。
そして、私なんてその最悪の部類の生き物で、ほとんど何も感じ取れないままで、ワガママばかり言っている文句たれなのかもしれない(たぶん、図星です)。
わかり合えないものではあるけれど、諦めてしまったら、そこで終わりだから、そこを敢えて同じことを言い、しつこく迫り、何度も何度も同じことを話す、これはまるでウチの母みたいな感じだけど、それは私みたいなボンクラには、そうやって初めてわかることって、いっぱいあるのだと思います。
一回言ったから、それは書類でお渡ししたから、なんて言われたって、聞いてないし、書類はたいていは見ていないのです。
何度も同じことを言ってくれなきゃ! ボンクラには、ボンクラ対応で接してもらわなくちゃ!
というんで、ほとんど頭に入っていなかった、ただ字面を追っているだけの「犀星句集」(岩波文庫 2022)で、やっと昨日少しだけ引っかかりました。
犀星さん54歳の時の作品でした。
短日(たんじつ)や夕(ゆうべ)にあらふ昼の椀(わん)
なんというグータラなんでしょう。思わずほおずりしたくなるような、いじらしいグータラです。秋の日の夕方、炊事場を見たら、お昼に食べた食器がそのまま置かれていた。水道もないんだろうか。寒いんだから、どんどん夕方は虚しくなるのだから、そんな炊事場を見たら、夕方のゴハンも寂しいものしか食べられないでしょう。
29歳の時に結婚した奥さんは、20年つれ添ってきたけれど、何年か前に療養生活になられたそうです。犀星さんがお世話とかしてたんでしょうか。どんな暮らしをしておられたのか。犀星さんがゴハンを作ってたんだろうか。そして、間が悪いことに戦争も始まった。長女の朝子さんは二十歳だったけれど、同居してたんだろうか。
そんな暮らしが想像できました。食事をしたら、すぐに食器を洗えたらいいけど、それも後まわしになるような、そういう暮らしをしていたのかもしれない。
草古(ふ)りてぼろ着てねまるばったかな
たまたまバッタを詠んだ形になっているけれど、もちろんこれは犀星さんをも示しているんでしょう。昔、「オレは河原の枯れススキ……」という歌もあったけれど、自分をわびしいものにたとえて、あわれな気持ちを慰めるというのか、落ち着かせるというのか、そういう手法もありましたね。
自虐的なところもあるけど、自虐だって、それなりの効用があるのだと思います。詠まれた風景はいかにも哀れで、元気がなくて、みじめったらしい。イソップのアリとキリギリスの話もあったけれど、どちらも私たちのことではないですか。夏の季節の中で浮かれてみたり、コツコツお仕事してみたり、冬になったら、温かいところでヌクヌクできる時もあるし、寒さにこごえる時だってある。
どっちでもいいから、とにかくそういうわびしさを感じられる人になりたいじゃないですか。
犀星さんは、そういうことを教えてくれているのかもしれません。