甘い生活 since2013

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晏嬰さんは 馬に乗れたのかな? 中歴-18

2014年06月24日 04時16分53秒 | 中国の歴史とことば

29【(  )頭狗肉】……○○○の頭を看板にして[いいお肉がありますよのアピール]、実は犬の 肉を売る。見せかけと実物とが一致しないたとえ。 ★どんな生き物が入る?


 中国の東・海側に斉の国がありました。今から二千七百年ほど前に管仲(かんちゅう)さんという政治家がいて、桓公(かんこう)という王様を助け、国力をアップさせました。何しろ管仲さんと桓公さんのコンビは40年ほどつづきました。おかげで桓公さんは春秋の五覇(ごは)に数えられるくらいに、勢力を誇りました。この王様が優れていたのか、サポートする管仲さんが偉かったのか、たぶん、両方だと思いますが、人の世は出会いが大切なのです。

 それから数十年が経過して、晏嬰(あんえい)という人が登場します。すでに斉の国は一度中国大陸の中で栄光を極めた歴史がありました。それが何代かトップが変われば、すぐに何でもない国に変わってしまいます。栄枯盛衰はいつだって起こり得るのです。晏嬰(あんえい)さんの字(あざな)は仲(ちゅう)。おくり名は平。世間では晏平仲(あんへいちゅう)と呼んだりするそうです。「晏子(あんし)」は尊称。節倹力行(せっけんりきこう)を主義として世を治め、『晏子春秋』という本は晏嬰さんの言行を後の人が編集したものです。

 晏嬰さんは、斉の霊公(在位BC582-554)・荘公(在位BC554-548)・景公(在位BC548-490)の三代の王様にに仕えました。王様のご機嫌をそこねることなど気にせずに、まっすぐな意見を述べ、その真面目さ・損得勘定(そんとくかんじょう)のなさゆえに受け入れられ、長く政治家としてやって来られたようです。

 晏嬰さんの身長は「6尺に満たず」と史書にあり、周王朝の時代の1尺の長さは、22.5センチなので、彼は「140センチに満たない」ということになります。しかし、その小さな体に大きな勇気を備えており、常に社稷(しゃしょく、国家のこと)を第一に考えて諫言(かんげん、忠告のこと)を行いました。だから、斉において絶大な人気を誇り、王様も何となく晏嬰さんの言葉には逆らえない雰囲気だったようです。本人の普段の生活は、倹約(けんやく、無駄づかいをしない)を行い、質素な生活を心がけ、肉が食卓に出てくるなどあまりなかったといいます。

 さて、エピソードです。最初に仕えた霊公さんの時代、町の女性の間で男装をすることが流行りました。王様はこれを止めさせたいと思って禁令を出します。しかし、この流行の始まりというのは、王様のお妃様だったのです。王様は相変わらず妃様には男装をさせていたので、流行は収まりませんでした。そんなのマネしなくてもいいのに、人々(上流階級?)はやはり上の顔色をうかがってやっていくのが常なのです。

 晏嬰さんは言います。「王様がやっていることは、牛の肉を看板に使って馬の肉を売っているようなものです。宮廷で禁止すればすぐに流行は終わります。」と。その通りにすると、流行は収まってしまいます。このことが「牛頭馬肉」の言葉を生み、後に変化して「○頭狗肉」になりました。



 みんなが最初から答えをわかっているのに、なかなかその答えを口に出すことができない事態は、意外と多いのかもしれません。私もたぶん黙っている方だと思います。それをちゃんと発言できる人って、なかなか立派だし、勇気があります。それが「王様ははだかだ」といえるのが子どもであったように、「奥様の変なファッションをやめさせればいいのです!」と言えるところが、晏嬰さんのカッコイイところです。実際の場面では、ドキドキの雰囲気があったでしょうか。それともサラリと言ってのけたのか、私ならドキドキですけど、きっと割とサラリと直言できたのかもしれません。

 だから、二千五百年後の私でも、この人のお名前を知っているのです。私には無理ですね。普通に人とおしゃべりすることさえできていない気がします。


★ 答え 29羊(ようとうくにく)


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