甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

金沢の記憶 1979年夏

2015年03月10日 22時04分02秒 | きたぐにへの旅
 大学2年の夏、友人と住み込みのアルバイトを2週間ほど体験して、すっかり働いた気分になりました。タコ部屋労働で、どこかの空き家に十数人が寝泊まりして、1つのテレビをみんなで見て、ワイワイしていたものでした。お仕事は単調だったけれど、みんなでワイワイしながら、わりとあっという間に終わってしまったような気がします。仕事は桃の選別で、朝から晩まで選果場で桃と向き合いました。

 たまたま名古屋場所で、当時破壊的な強さを誇る北の湖に、ベテラン横綱の輪島さんがまったをかけて、なんと千秋楽に寄りきりか何かで、北の湖を振り切って優勝したのです。そうしたら、若者は判官びいきだから、メロメロ横綱の輪島のねばり腰をみんなでほめたたえ、みんなで喜びました。そして、若いのに、それでみんなでいっぱいやるとか、あったのかなかったのか……。飲んだのかなぁ。記憶がないです。




上が横綱・輪島さんです。黄金の左腕を持っていました。
下が横綱・北の湖さん、相撲協会の理事長さんにもなりました。



 金沢出身の友人はさらにバイトを続け、同じく石川県出身で山代温泉町出身の友人に誘われて、石川県を旅することになりました。気軽にホイホイとついて行ったのです。本当にあの時は申し訳なかったのに、若かったので、何も考えずについて行きました。

 夜行列車に上野から乗り込んで、山代温泉へ着いた。途中は何があったか、あまりおぼえていません。ただ、それなりに旅情を感じるできごとがあったはずなのに、何も今はおぼえていません。

 ただ、夜行だったから、眠かっただろうと、すぐに昼寝をさせてもらったとき、フトンの上にゴザが敷いてあって、汗をかくのをこのゴザで逃すんだなあと、なかなか合理的だと、感心したのはおぼえています。はじめてそんな心地よい昼寝をさせてもらいました。

 何日も泊めてもらって、山中温泉のこおろぎ橋、福井県の東尋坊、そこに行く途中の雄島、芭蕉さんも訪れた那谷寺など、近辺の観光をさせてもらいました。

 海水浴にも行って、友人の妹さん(女子高生でした)が水着の上にTシャツをはおって海の中に入ったのも衝撃的で、あまり若い人が海に入るのを見たことがなくて、若い女の子は水着のそのまんまを見せる物ではなくて、ビキニだ、ワンピースだというのは、GOROとか、平凡パンチとか、そういう雑誌の中だけのことなのだと知りました。この妹さんは何となく人なっこい、やさしい感じの女の子で、あまりお話はしなかったけれど、北陸のやわらかな感じを伝えてくれていました。もっとお話とかすればよかったですね。

 温泉は、町の真ん中の共同浴場で、地元の人はみんなこちらに通っているらしい。効能など当時はまるで考えないで、ただぼんやりと温泉に毎日入りました。今ならもっともっとありがたがって入るのに、若いときは、ぼんやりして、ありがたさもわからず、せっかくの機会をただぼんやりすごしてしまっていました。ぜいたくでもったいないことです。でも、それが若いときなんでしょう。

 金沢にも連れて行ってもらいました。兼六園・石川県の博物館・香林坊など、有名なところはおさえたつもりでした。でも、今ならそれ以外のところにも目がいくんですけど、当時は、何だか繁華街がシンプルだなとか、大きなデパートみたいなのはないんだなとか、そういう都会的なものに目がいっていて、金沢は、そんなところに魅力があるのではない、ということには一切気づきませんでした。

 ああ、あまり見るところがないなあ、とでも思っていたかもしれない。写真もあまり撮りませんでした。というか、カメラも持っていなかった。ただ目に焼き付けるだけなのに、金沢は何も目に焼き付けるものがない、という印象だった。



 兼六園だって、写真でいくら見ても何もならないし、そこを歩いて、ぼんやりして、秋なら紅葉、冬なら雪、春なら梅や桜を見て、楽しむものなのに、若いときの私は、何もないところだなと思っていた。

 たまたま夏に訪れたので、そう思ったのではなくて、何か観光するものが欲しくて来ているのに、何も観光したと満足させるものがないじゃないか、としか感じられなかった。

 若いというのは、本当にアホですね。大事なものが見えなくて、目先のキラキラしたものしか目に入らないのです。私は今もアホですけど、少しはものを見る目を養えたかな。さあ、どうでしょう。相変わらず目先のキラキラかな。いや、しぶいのも好きになりましたから、大丈夫ですね。



 今なら、夏の兼六園なら、それなりの楽しみ方ができるような気がするのですが、一度試してみたいですね。とにかく、金沢の友人は、「昔はただですりぬけるだけの、公園だった」と話を聞いていて、「今はお金を取るみたいだけど、カネを取っているのに、このただの庭かよ」とでも思ったかもしれませんね。生意気な大阪人(自称・都会人)の若者の私は、つまらなかった。金沢で何か楽しいものは見つけられなくて、那谷寺の方が、見た目は楽しくて、不思議なお寺だなという印象でした。



 あれから30数年が経過して、新幹線が東京から押し寄せようとしています。名古屋の人や、東海地区の趣味人は金沢に何度も出かけています。私は趣味人ではないので、それから一度いったきりで、今新幹線の波がやってくる北陸はブームになるだろうけど、その影に消えてしまう鉄道もあるのだろうなと思います。消えていく方に目がいってしまう。



 上野と金沢間を走る夜行はいつ消えたんだろう。十年くらい前ならまだ走っていたでしようか。名古屋からは高山本線を回ったり、特急しらさぎで回ったり、クルマでぶっ飛ばしたり、いろいろに行くことができるので、あまり新幹線ができようが、まるで関係ないのです。ただ、東京の人たちが来るだろうなと思うだけで、全く関係ないのです。かえって、自分たちの金沢が新幹線の圧力で汚されてしまうんじゃないかと、そっちの方が心配なくらいです。

 まあ、地元の人がうれしいならそれでいいけれど、私には何もうれしいことはありません。ぜひ、今までのよさを忘れず、そのままでいてほしい。とはいえ、私に金沢のよさはまだ見つけられていないので、これから何度かチャンスを見つけていきたいです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。