漱石先生や鴎外さんが漢文の素養があったというのは、なんとなく知っていますが、それがどのくらいの勉強の質と量なのか、あまりわかっていません。せめてその足下にでもたどりつきたいとここ何十年、ごくたまに中国関係の歴史の本などを読みますが、たぶんそんなものではありません。
もっと昔の人は、原典をしっかりとたたきこんだことでしょう。その中に光明を見つけたはずです。私たちは原典をたどることなく、サラッと表面をなぞるだけで満足しているような気がする。それこそが現代の形の先取りなんだろうけれど、それでは感情や気分も表面的になるでしょう。内面にどのように育てるのか、それはなかなかむずかしい問題です。
いっそのこと、そんなものは必要ないと言ってしまえばいいのだけれど、それもどうかと思うし、私は、これからも少しでも漱石先生に近づきたいです。年齢は、漱石先生を越えてしまったけれど、中身は足下にもおよばない、つまらないスケベなアホーですからね。せいぜいアホーを治していきたいです。
さて、芭蕉さんです。
27 かなしまむや墨子(ぼくし)芹焼(せりやき)を見ても猶(なほ)
白糸が黄や黒に染まるのを悲しんだ墨子は、焼かれた芹が香ばしく色変わりするのを見てもやはり悲しむだろうか。いや、喜んで食べるに違いない。延宝八年以前。
芹焼とは、焼けた石の上で芹などを蒸し焼きにした料理。鶏肉や芹などを鍋で焼くものもいうそうです。「墨子悲糸」(蒙求)の故事を踏まえ、思想的な話題を食の次元に移して笑いを誘うという軽い感じの作品です。
墨子さんは、鉄壁のディフェンダーです。あらゆることを防御し、なるべく外に対して影響を少なく、最低限度で戦う。けれども負けなくて強い。なかなか難しい生き方ですけど、それで一家をなした人です。
芭蕉さんの三十七歳よりも前の作品ということです。作品の価値よりも、芭蕉さんが墨子さんを取り上げたということが貴重な作品かなと思います。お話をまとめて教訓にした「蒙求(もうぎゅう)」は芭蕉さんは読んでいたんでしょう。私は、それさえ読んでいません。
ただ一般教養として「旧習を墨守する」とかいうのを、かろうじて聞いたことがある程度です。漱石さんにも届かない私は、あこがれもあるけれど芭蕉さんにもはるかに届かない。
墨子さんは、いろんなことに疑問を持ち、いろんなことにこれでいいのかと提案した人という気がします。だから、なるべく無駄なことはしないで、できれば戦争という人間が行う最大の無駄であることにも抵抗した。無駄にはなるべく抵抗せずに拒否することにした。
なかなか現代的でいいなあと思うのだけれど、墨子さんの勉強も、私はその原典を読んでないです。ああ、私って表面的です。そんなヤツが墨子さんを語ろうとしても、笑われるだけです。
芭蕉さんは、墨子さんは確かにすごい人かもしれないけれど、でも、お腹は減るでしょう、というのを描いてみたというところかな。そうして茶化すのはいいけど、そこから新しい世界はうまれませんね。ただのくすぐりです。それでは深みが生まれない。
俳諧には、お笑いと一緒でくすぐりの句もあるということなのかな。それがことばの遊びの醍醐味ですね。みんなでニヤニヤ笑えたら、大人の遊びという気がする。
さて、仁徳天皇さまです。
24 叡慮(えいりょ)にて賑(にぎわ)ふ民(たみ)の庭竈(にわかまど)
天皇の思し召しにより、民の暮らしもにぎわい、家々では庭竈を囲む団らんが行われている。元禄元年。
仁徳御製「高き屋に登りて見れば煙立つ民の竈はにぎはひにけり」(新古今集)の「竈」を「庭竈」にしたのが工夫。
これを芭蕉さんは取り上げていたようです。天皇様のご配慮によって家々から煮炊きをするかまどの煙が立った。その煙の立ち上るのを見て天皇様はホッと胸をなでおろされた。すべて天皇様のご配慮によるものだ、というのを句にしたのですね。季語は何だろう。「かまど」かな。
新古今をふまえ、古代の歴史の一コマをとらえた句というものなんだろうけど、情趣というのか、だから、どうなの? という感じです。取り上げたチャレンジ精神はいいけど、高貴な方にお追従しなくてはならなくて、つまらないです。
いや、それを取り上げてみることが大事なんでしょう。そういう気持ちを私も持ちたいです。世の中にはいろんな故事来歴があるんですから、それらを取り上げなきゃいけないです。日々是発見ですね!