ある人、清水(きよみず)へ参りけるに、老いたる尼の行き連れたりけるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、
ある人が、清水寺にお参りに行くことになりました。またまた一緒になった尼さんがいたんですが、その尼さんが道みちで、「くさめ」「くさめ」と何度も何度も言うのでした。
「くさめ」というのは、「クソをはめ(食べろ・食らえ!)」という意味で、私たちの魂を抜き取ろうとする悪魔が、鼻をもぞもぞさせて、ヘクションとさせて、そのついでに抜き取ろうという算段なので、そんなにうまくいくものか、悪魔め、おまえなんかクソ食らえ! と呪文を唱えていたようです。
だったら、この尼さんは花粉症だったんでしょうか。アレルギーだったの? それとも、「くさめ」というのが口癖だったんでしょうか。だったら、何だかお下劣な女の人ですか?
同行者としては少し気になります。道を歩いててすぐ「このやろう!」なんて、何だか変です。当然気になって質問をするでしょう。
「尼御前(あまこぜ)、何事(なにごと)をかくはのたまふぞ」
と問ひけれども、応(いら)へもせず、なほ言ひ止(や)まざりけるを、
と問ひけれども、応(いら)へもせず、なほ言ひ止(や)まざりけるを、
「尼ごぜさま、どうしてそんなふうにずっと言い続けておられるのです。少し話してくださいませんか。何かわけでもおありなんでしょ?」
とある人は質問しました。
けれども、尼さんは聞こえないのか、無視しているのか、一向に気にしないであいかわらず「くさめ、くさめ」を繰り返していました。
不思議な女性です。おばあさんなんでしょうか。てっきり老婆かなと思ったけれど、それだとあまりに私たちのイメージ通りで、ひょっとしたら、そうではなくて、ものすごくキレイなお顔の、まるで柴咲コウさんみたいな尼さんだったらどうでしょう。
もう不思議でたまらないし、どうしてこんなキレイな尼さんが、よりによって「くさめ」を連発するんだろう。もう少しこちらとしてもとりつく島でもあれば、もっと世間話をしたり、うまく尼さんと楽しい時間が過ごせるのに、全く会話にもならないし、とにかく清水寺をただめざすばかり。
自分もたまたまそちら方面に行くのだけれど、自分が少し何かに気を奪われたり、お腹がすいたり、尼さんが数歩ほどをあるくたびに「くさめ」と大声で言っていたら、もう落ち着かないと思います。
ああ、何とか早くこのモヤモヤを解消させたいのに、この尼さんはだんだん機嫌が悪くなっていくようでした。
度々(たびたび)問はれて、うち腹立ちて、
「やゝ。鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君(やしないぎみ)の、比叡山(ひえのやま)に児(ちご)にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。
「やゝ。鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君(やしないぎみ)の、比叡山(ひえのやま)に児(ちご)にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。
とうとう尼さんの怒りが爆発します。
「ああ、もううるさいわね。くしゃみをした時に、こんなふうにおまじないを言わないと、くしゃみをした人が死んでしまうという言い伝えがあるでしょ。
それがあるから、私はもうあれやこれやと気になって、おまじないを言ってたわけよ。
自分がくしゃみもしないのに、どうして「くさめ」って言うのかって?
それにはちゃんと訳があるのよ。私がお仕えし、お養い申し上げた若君がおられて、そのお方が比叡山にお稚児(ちご)さんに入られたのよ。
私はもう心配で心配で、ああ、くしゃみしているんじゃないかしら。だったら、あのお方はおまじないは言われないでしょうし、私がその代わりにずっと言い続けているんです。
私の気持ちを、ここから届けているんです。わかりますか、私の気持ち。」ということでした。
有り難き志なりけんかし。〈第47段〉
ほんとうにありがたい尼さんのお気持ちなんだということでした。
とはいうものの、少しやり過ぎなんじゃないの、と言いたい気分もあるけれど、その若君を遠くから思っている育ての親としての気持ちは尊いものだし、もう何ともコメントできないすさまじさがある。
こうした人々の思いが、私たちの社会にはあふれていて、時々そういうのに出くわすことがあるけれど、びっくりするやら、ありがたい(滅多にないことだなと感心する)やら、人の世の不思議さを感じないではいられない。
そういう兼好さんのエッセイを取り上げました。
何だか唐突ですね。ジェンキンスさんのこと、書きたい気持ちもありました。でも、私は語れる立場ではないし、とにかくご冥福を祈ります。
そして、奥様のひとみさんは同年代なので、自分もいつそういうことが起こるかも知れないなとしんみり思います。
お嬢さんたちは元気で暮らしておられるんだろうか。日本で楽しく暮らせていたらいいなあ。それにしても、あの国って、1人の人生なんて、何とも思ってないね。いや、あの国だけではないな。国家なんてそういうものでしたね。グチを言ってもしょうがない。
自分のことは自分でやる。お金がなかったら、自分で稼ぐ。決して国という存在をあてにしてはならない。災害こそもたらすけれど、私たちに利益なんて与えてくれない。
そう思って生きていきたいです。
でも、少しは努力して拉致問題を解決して欲しいんだけど、無理ですね。横田さんたちも本当にお気の毒です。何とか私みたいなものでも、連帯したいんだけどな……。