甘い生活 since2013

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火まつり(つづき) お燈祭りのこと

2014年02月06日 21時52分30秒 | 三重・熊野さんぽ

 今晩、熊野地方の新宮市では御燈祭り(おとうまつり)が行われています。その祭りは、「火まつり」と呼ばれたりしています。

 熊野には、夏に熊野那智大社において、松明をかかげて上り下りする祭りがあります。暑い夏の真っ昼間に松明を燃やして、みんなを元気づけさせるようなお祭りみたいですが、テレビ画面などで見ると、どことなく優雅な感じがします。少し熊野っぽくない感じさえあります。

 どちらかというと、熊野らしい、あまりお祭りの意味がわからない、何だか不思議なお祭りは、新宮のお燈祭りだと、私は思います。

 このお祭りは、新宮市の北側にそびえる神倉山の神倉神社で行われます。私は一度だけ参加したことがあります。参加していても、何だかずっとビクビクしっぱなしで、無事に降りて来られても、何だかこれが本当の現実世界なのか、それともここは神様世界の延長なのか、区切りがつかなくて、フワフワしながら家まで帰ったような記憶があります。

 新宮の町中から神倉神社は遠望することができます。といっても、社殿らしきものはなくて、山のてっぺんに大きな石が載っかっているだけです。山はそれほど高くありません。百メートルあるのかどうかというくらいの高さです。そこに大きな石が突然存在する。そうなると、人々は日常的に山の上の石を見上げることになり、何か不思議で少し恐ろしいような、石にお願いしたくなるような雰囲気になったのでしょう。

 何百段かの石段が作られ、石にお参りするようになり、やがて石はご神体になったようです。はるか昔のことだと思います。この国の人々が積み重ねてきた自然信仰の一つでした。神倉山のごとびき岩(という名前だったかな?)ような、崇(あが)め奉(たてまつ)りたくなる自然は、熊野地方にはたくさんあります。

 だから、人々はこれらを結びつけ、ネットワーク化して、紀伊半島の山と海の全体で祈りを実践してきました。それくらいしないと、熊野の自然は許してくれません。それくらいリアルに日々こわい顔を人間たちに見せ、声を響かせているのです。



 何か大げさな感じに聞こえるかもしれません。でも、これは本当です。雨が降るとなると、恐ろしく降ります。台風が一緒にやってくれば、風も海もものすごい音を立てます。七里御浜という海岸があるのですが、ここは砂浜ではなくて石浜になっていて、その石たちが押し寄せる波にたたきつけられ、押し流されると押したり引いたりする音が、海から陸の何キロ先でも聞こえます。風が収まっても海がうなり続けたり、海の音は聞こえないくらいに雨が窓にたたきつけられたり、もう人間は自分たちの住む小さな空間の中で、自然が静まってくれるのを祈るばかりです。ウチなぞは家族で固まってふるえてたりしました。



 ここ何年かでも、台風のせいで町が移転せざるを得なくなったり、町全体が水没して復旧に何日も要したりしたことがありました。雨・風・海・そして山は土砂崩れを起こし、人の命を奪ったりします。

 それはそこに住む人間には仕方のないことで、それを承知で住んでいる。時にはものすごく恐ろしい自然だが、普段はものすごく優しく、温かで美しくステキな日常を与えてくれる。都会の人間にはわからない、ものすごい恩恵です。かくして人々はここに住み、ここで泣き笑いしている。

 そして、自分たちのまわりには何だか知らない、何かの存在がいるような気さえしてくるのだと思います。それくらい敬虔な自然信仰の気持ちになってしまうようです。

 火まつりの当日は、白いものしか口にできません。シラス・トーフ・白米・白い大根を切り刻んだものその他、醤油もダメだから、調味料は塩だけだったかな。少し食べるのが苦しいのですが、神様に近づくための儀式だから、辛抱して、お酒を少しだけ飲ませてもらい、女性からは遠ざかり、男だけの世界に没入して夜になるのを待ちます。白い衣装に身を包み、きれいに削ったかんなクズをつけた祭り用のたいまつを持ち、肝心なのはお腹に巻く縄なのですが、オレにかかってこいという威勢のいい男の人は、一巻きかふた巻きにする。私のように弱い男や老人・子どもは五巻き・六巻きして、お腹の縄で祭り男のランキングができてしまいます。



 でも、ちゃんと見た目で強い男、弱い男と分けてくれるのはありがたい作法です。勘違いされて、強い人にぶん殴られたら、それはお祭りじゃなくて、ただの暴行事件です。ちゃんとやったらやり返す人たちがわかるようになっているので、この人たちが暴れてもそれは神事となるわけです。えらい違いだと思います。

 そして、夜の7時過ぎだったでしようか、もっと遅かったのか、とにかく神社の門が閉められる。山の上なので当然寒い。けれどもお酒も入っているし、気分は高揚しているし、寒ければお互いに持っている松明を振り回せば、自然にあたたかくなって、どんどん気分は盛り上がります。

 でも、肝心の火がないので、フラストレーションはたまり、人々はだんだん騒々しくなる。しかも山の上の狭いスペースに閉じ込められている。ある程度エネルギーがたまったところに火が到着する。そうなればパニックで、早く自分の松明に火をつけようと人々がわれ先に動き出す。そしていよいよ騒々しさは頂点に達する。

 火は下からの風で山全体を燃やす。白装束の人々は自然と放心状態で「ワー」とか、「アツー」とか、声にならない声を、悲鳴を上げている。もう何とかしてくれと思ったところで、開門されて、先陣争いが起こって、若者は石段を駆け下りるのでした。

 そして、女性は山に登れないので、それぞれ自分に関係する男の無事を祈って山の下で待っていて、彼らが駆け下りてくるのを、1人ひとりと見守るのでした。それで、私は、ヨタヨタと、足下も不安なので、火の川のあかりを頼りにしながら、降りていきました。降りた後は、どうなったかわからないまま、松明だけをお土産にして、帰宅しました。

 あれから何十年か過ぎて、ふたたび山に上って、神の子になるチャンスはもうないはずですが、何となく恋しい気分もあるのです。ほんの半日の祭り体験だし、ただ装束を着て山に登り、降りてきただけなのですから、ただそれだけなのに、今もあの時の一瞬が目に浮かぶわけです。それはもうものすごい生きてる瞬間を感じられたのだ、と思うのです。

  これから、どんなお祭りに参加できるかわかりませんが、私たちにとって、祭りに参加する瞬間は、それが質素な盆踊りであれ、ご近所の神社の祭礼・縁日であれ、私たちが神に近づける瞬間なのだと思います。でも、それが瞬時にものすごく感じられるのが、熊野のお燈祭りだったのです。だから、私は一度で十分です。あとは淡々と生きていくことにします。



★ ということで、1年経過して、気持ちは今も同じです。心はつながっていますが、そこへ飛び込むことはもうできません。いつかチャンスがあれば、八重・九重と縄を巻き付けて、ゆっくりゆっくり降りていきたいです。今思えば、もっとかみしめながら降りてくればよかったと思います。

 大好きな旅番組のNHK-BSブレミアムの「こころ旅」で、火野正平さんが「人生下り坂サイコー」とつぶやきなから坂道を下っていく場面がありますが、あれと同じで、いろんなところへ目配りしながら、わりと体力的には楽に移動していけるというのは、とてもありがたいことのように思えます。

 どこかのお祭りに行きたくなりましたね。春を祝うお祭りって、何か夢があっていいですね。二月堂に行くか若狭地方の小浜市に行くか、どこかで楽しい祭りやってないかなあ。



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