色川大吉先生の『自由民権』(1981 岩波新書)を読んでいます。おもしろいなと思ったので、メモしておくことにしました。
どうぞ、みなさまもご一緒してください。よろしくお願いします。
そのころ(1880・M13以後)のわが国をとりまく欧米列強の動きは、日本を中心に考えていてはよく見えない。中国(清国)を中心にすえて見ないと、アジアの国際情勢は客観的にはわからない。清国がにわかに軍備の近代化をはじめたのは、一つにはヨーロッパ諸国の中国周辺への侵食によるものであり、二つには日本の台湾出兵(1874年)や朝鮮への進出(1876年)、琉球併合(1879年)などによる脅威が直接の原因であった。
軍備の近代化は日本が先だったんですね。それから、大国の中国も動き出したということなのか……。
歴史的な事実を見てみると、もうずっと周辺諸国に迷惑をかけ続けたわけですね。それがアジアの平和だなんて、訳の分からない理屈でごまかしてたんです。
清国は衰えたりといってもアジア最大の帝国であり、依然として東方世界の中心であった。17世紀の半ばに明国を完全に滅ぼしてからアジア世界に強大な支配力をふるい、中國辺境に衛星のような朝貢国(ちょうこうこく)を従えていた。
朝鮮、安南(ヴェトナム)、タイ、ビルマ、ラオス、チベット、新疆(しんきょう)、琉球も清国が服属国とみなしていた国々であった。その辺境朝貢国が、1870年代から80年代にかけて、次のように急速に侵されたのである。
これらの国々、枠組みは変わったけれど、今も関係の深い所ばかりです。カンボジアはどうなってたかな。台湾とはどんなつながりを持ってたんだろう。海の向こうの関係ない国として見てたんでしょうか。フィリピンは遠すぎたんだろうか。
(1)北方領土侵犯(1871年、ロシアによる伊り占領、81年ロシアとの武力衝突の危機、伊り条約による伊り西境のロシアへの割譲、新疆の反乱)、
(2)琉球王国の日本編入(1879年の日本による一方的な琉球処分)、
(3)ヴェトナムの喪失(1885年、清仏戦争の敗北によって安南全土を喪失する)、
(4)ビルマの喪失(1886年、イギリスによるビルマの併合宣言)、
(5)朝鮮からの後退(1876年、日朝修好条規、および82年、壬午の軍乱、84年、甲申事変、94-95年の日清戦争によって次第に喪失)。
清国が影響下にあると思っていた国のかなりの部分が失われてしまいました。百年以上前のことだけれど、今に通じる話です。
大国だと思っていた国が、周辺諸国が次から次と影響圏から離れていくとしたら、大国としては、どうしてもその流れを止めたいし、一気に逆戻りさせようと考えるのは、大国の理屈としては当たり前です。
今までそこに合った国々が、突然知らんぷりを始めたら、そりゃ、黙っていられないと思うのかもしれない。
そして、最後の日清戦争の敗戦を境に、防波堤を突破された後のように、中国本土内に欧米列強と日本帝国主義の侵略の大波が押し寄せたのである。
こうした清国を中心に置いてみると、みずからは西欧列強の不平等条約下に苦しみながらも、いち早く西欧帝国主義の尻馬に乗ってアジア分割競争にくわわった日本という国の位置がよく見えてくる。
先生、おっしゃる通りで、今も日本の首相の岸田さんは、G7の会議とかでベルギーに行っています。今もアジアの中で欧米に並ぶところは自分ところしかいないという自負でやっています。
もう百何十年もこうして西欧の後追いばかりしているんでした。自分ひとりで何かしなさいと言われたら、そりゃ路頭に迷いますからね。誰も相手にしてくれないかも。いっそのこと、インドとトルコとオーストラリアも一緒に来てもらったらよかったのにね。ち