週末、大阪の実家に行きました。今朝の朝ごはんなんか、すごかった。
朝から焼き肉カルビを食べなさいと、食べさせられて、お腹いっぱいになりました。お昼ごはんにとオニギリも持たせられましたけど、とても食べられる気がしなくて、とうとう家に帰るまで、何も食べないで済みました。もう少し母も加減してくれたらいいのに、熱烈歓迎で困ってしまいます。
妻は、「もういらない」とキッパリ言いなさい! と言うんですけど、それができない私になってしまいました。昔はもっと母の命令なんて、へとも思わなかったのに、どうして孝行息子を演じてしまうのかなあ。いや、演技ではないな。ヘビににらまれたカエルで、ハイ、わかりましたと、スゴスゴと命令を受け入れているみたい。それが地になってしまっている。そして、母から解放されると、妻にこんなだったよと窮状を訴えている。
まあ、できる範囲のことで、母には対応したいと思っているみたいです。
そうです。喜んでお腹がはちきれるくらい食べましょう。お酒は控えめにしましょう。実家だと少し飲みすぎてしまう。いや、最近少しタガが外れてるかも……。
さて、三重に帰ってくるとき、奈良公園に行きました。JR奈良駅から、ずっと三条通を歩いていた。特に行きたいところはなくて、時間も一時間かそこらしたら、また奈良駅に戻ろうという腹づもりでした。どこにも寄りたいところはありませんでした。
三笠山は、登りたかったけれど、断念しました。
今日は、興福寺の五重塔がスンナリきれいに見えて、「あらまあ、いつもと違って、さわやかそうな雰囲気だなあ」と見上げてみました。
一瞬、鎌倉時代まで気持ちだけ飛んでいけそうな気がした。
「五重塔の冬空」という文句が浮かんできました。おっ、使えそう! と、数えてみると、「ごじうのとうの ふゆぞら」一音足りないけど、十一は決まった。
だったら、いつもの日記俳句で「実家より五重塔の冬空」
これでは、読む人がどういう意味? 実家はお寺? と誤解してしまいそうです。日記俳句にもなっていない。だったら、「実家帰り五重塔の冬空」にすると、途中なんだろうなというのは伝わるけど、また、コイツのつまらない日記かよ、と思われるだけでした。
だったら、運慶さん、快慶さんたちがいた興福寺なんだから、
仏師ども五重塔の冬空に
これで、自分と切り離して、鎌倉時代の奈良の冬の風景を切り取ったことにならないかな。それでも、やはりダメかな。
しばらく寝かしてみましょう。いいアイデア浮かぶといいんだけど。
大仏殿に入ろうとしない外国のお客さんたちがいました。
どうして、柵の外から中をうらめしそうにのぞいているんだろう。何か事情でもあるんだろうか。
宗教上の理由? めんどくささ? ただ疲れただけ?
冬の庭三人のアリスの隙間
手向山八幡宮への参道。お昼は過ぎていました。光に照らされた道が見えました。
そうだ。この中を歩いて、光に祝福されて歩いたら、二月堂にたどり着けるし、そこに着いたら、この奈良散歩は終わりにして、家に帰らなくちゃ。
18キップを買ったので、三重まで関西線と紀勢線とを乗り継いで、行かなくては!
時間はかかるし、お金もスッカラカンになってしまったし、もう帰ろうという気分でした。未練は少しあったのだけれど……。
冬の光 思い思いにしゃべるから家族
日記にもならない、いい加減五七五でした。もっとしみじみしたものが作りたいんですけど、なかなか難しいなあ。