![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/e5/8c8f3ade45d75103265d8e9ed35ed82c.jpg)
将来、古本屋さんをするというのが私の夢でした。店番は奥さんにまかせて、自分は各地のブックオフをめぐって、役に立たない本をかき集めて、役に立たない本ばかり並べる、マニアックな古本屋を、松阪の中心市街地でやってみようと思っていました。
でも、今回の一箱古本市に参加して、改めて自分は商売に向いていないかもと、少し落ち込んでしまいました。社会とのふれあいの場を求めて古本市に参加したのに、まるでふれあいを拒否して、知ってる人ともことばを交わさず、何となく気が合いそうな人とも自分から進んで心を開くこともせず、やる気があるのかないのか、ただ奥さんと何でもないことばだけを交わして、半日座っていただけでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/58/471b038e419af2638a88d154b5b1b4df.jpg)
学生ボランティアの人たちがたくさんいました。この人たちとでも交流すればいいのに、なんだか面倒で、向こうから何か話しかけてこない限り絶対にしゃべらない、みたいな雰囲気でしらんぷりの私でした。おかげで、だれとも学生さんとは話をしなかった。
オバチャンにはもちろん話しかけません。オッチャンももちろんで、結局だれとも話をしませんでした。名刺も持参せず、自費出版した本を10冊だけ持ってきていたので、皇學館大学の先生と古書店のぽらんさんの若主人さんと、あと1人松阪で自営図書館を開いているという人の3人にお渡ししただけでした。これもほんの一瞬でしたから、しゃべっていないのと同じです。
ああ、こんなことなら、参加してもしなくても同じでしたね。世界を広げよう、いろんな人と交流しようと意気込んで参加したのに、新たな出会いは何もなくて(自らそれを求めなかったのですから、そりゃ当たり前です。何もしょぼくれたオヤジをチヤホヤしてくれる人なんていないんですから、いたら逆におかしいです)、あっという間の6時間でした。長いようで短い、まるで人生のような時間でしたね。
そうです。求めない人には、だれからも与えてくれる人はいないのです。私はたぶん、妻に甘えていたのでしょう。奥さんがそばにいるから、あえて新しい出会いは必要ないし、だれとも話はしたくないし、お金がほしいわけでもなくて、ただ古本屋さんごっこがしてみたかっただけでした。
もう反省ばかりの古本市でしたね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/99/bd0f69e0f858670ae61cdbb9355cebe9.jpg)
お店の名前は、「海鳴舎(うみなりや)」にしました。将来、出版社を起こしたら、海鳴舎(かいめいしゃ)にしようと思っているくらい、「海鳴り」にこだわっています。
この名前は、高校の1年の時のクラスの同人誌「海鳴り」が起源になっています。それで、その命名者は私で、当時、堀田善衛(ほったよしえ)の「海鳴りの底から」という時代小説を読んでいて、小学校時代からのキリスト教と日本人が私の中の1つのテーマとしてあったので、それをそのまま名前につけた雑誌でした。
クラスの雑誌なのに、私の勝手な思い入れで、雑誌はスタートして、いろんな仲間が参加してくれて、とても楽しい高校1年の秋が過ごせて、その楽しさのまま、同じ気分で自分たちの店名にしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/62/02d1def6459914053726abdf76cc4d8c.jpg)
この旗は、書道を習っている奥さんが書いてくれました。一度「海鳴屋」と書いていて、そうじゃなくて、「舎」にして! と頼んだら、ふたたび書いてくれたモノでした。最初の方がよく書けたそうですが、すぐに反応してくれるんですから、うちの奥さんは少し私を甘やかしすぎていますね。だから、私は奥さんに甘えて、自分で何かしようとしないんですよね。いつも奥さんがひいてくれたレールを走っている感じです。
ありがたいとは思いつつ、何だか自分のふんどしじゃない感じです。でも、ひょっとすると、私という人間はふんどしも用意しないで、スッポンポンで相撲をとろうとすることがある人なので、奥さんも見るに見かねて、手を出さざるを得なくて、ついふんどしを用意してしまう。それに私は甘えてしまう。それで、居心地の悪さを感じつつも、相撲をとるわけです。
何という大人なのでしょう。またまた反省していますね。きりがないので、つづきはまた明日にします。
ふたたび反省して、明日書くことにします。
この前にサラリと書いた、孔子さんのおことばが耳にいたいです。私は憤慨せず、怒りのパワーが何もなくて、ぼんやり立ち向かっています。だから、力が出ないのだと思われます。私の本当の相撲はいつになったらとれるのかなあ。そんなことをわざとらしく書いているようでは、一生ちゃんとした相撲取りにはなれないですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/0f/85273c995a4f9763736042bafb9dc928.jpg)
もう、そんなの知らないニヤン! もっと発憤しなさいニャン!
でも、今回の一箱古本市に参加して、改めて自分は商売に向いていないかもと、少し落ち込んでしまいました。社会とのふれあいの場を求めて古本市に参加したのに、まるでふれあいを拒否して、知ってる人ともことばを交わさず、何となく気が合いそうな人とも自分から進んで心を開くこともせず、やる気があるのかないのか、ただ奥さんと何でもないことばだけを交わして、半日座っていただけでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/58/471b038e419af2638a88d154b5b1b4df.jpg)
学生ボランティアの人たちがたくさんいました。この人たちとでも交流すればいいのに、なんだか面倒で、向こうから何か話しかけてこない限り絶対にしゃべらない、みたいな雰囲気でしらんぷりの私でした。おかげで、だれとも学生さんとは話をしなかった。
オバチャンにはもちろん話しかけません。オッチャンももちろんで、結局だれとも話をしませんでした。名刺も持参せず、自費出版した本を10冊だけ持ってきていたので、皇學館大学の先生と古書店のぽらんさんの若主人さんと、あと1人松阪で自営図書館を開いているという人の3人にお渡ししただけでした。これもほんの一瞬でしたから、しゃべっていないのと同じです。
ああ、こんなことなら、参加してもしなくても同じでしたね。世界を広げよう、いろんな人と交流しようと意気込んで参加したのに、新たな出会いは何もなくて(自らそれを求めなかったのですから、そりゃ当たり前です。何もしょぼくれたオヤジをチヤホヤしてくれる人なんていないんですから、いたら逆におかしいです)、あっという間の6時間でした。長いようで短い、まるで人生のような時間でしたね。
そうです。求めない人には、だれからも与えてくれる人はいないのです。私はたぶん、妻に甘えていたのでしょう。奥さんがそばにいるから、あえて新しい出会いは必要ないし、だれとも話はしたくないし、お金がほしいわけでもなくて、ただ古本屋さんごっこがしてみたかっただけでした。
もう反省ばかりの古本市でしたね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/99/bd0f69e0f858670ae61cdbb9355cebe9.jpg)
お店の名前は、「海鳴舎(うみなりや)」にしました。将来、出版社を起こしたら、海鳴舎(かいめいしゃ)にしようと思っているくらい、「海鳴り」にこだわっています。
この名前は、高校の1年の時のクラスの同人誌「海鳴り」が起源になっています。それで、その命名者は私で、当時、堀田善衛(ほったよしえ)の「海鳴りの底から」という時代小説を読んでいて、小学校時代からのキリスト教と日本人が私の中の1つのテーマとしてあったので、それをそのまま名前につけた雑誌でした。
クラスの雑誌なのに、私の勝手な思い入れで、雑誌はスタートして、いろんな仲間が参加してくれて、とても楽しい高校1年の秋が過ごせて、その楽しさのまま、同じ気分で自分たちの店名にしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/62/02d1def6459914053726abdf76cc4d8c.jpg)
この旗は、書道を習っている奥さんが書いてくれました。一度「海鳴屋」と書いていて、そうじゃなくて、「舎」にして! と頼んだら、ふたたび書いてくれたモノでした。最初の方がよく書けたそうですが、すぐに反応してくれるんですから、うちの奥さんは少し私を甘やかしすぎていますね。だから、私は奥さんに甘えて、自分で何かしようとしないんですよね。いつも奥さんがひいてくれたレールを走っている感じです。
ありがたいとは思いつつ、何だか自分のふんどしじゃない感じです。でも、ひょっとすると、私という人間はふんどしも用意しないで、スッポンポンで相撲をとろうとすることがある人なので、奥さんも見るに見かねて、手を出さざるを得なくて、ついふんどしを用意してしまう。それに私は甘えてしまう。それで、居心地の悪さを感じつつも、相撲をとるわけです。
何という大人なのでしょう。またまた反省していますね。きりがないので、つづきはまた明日にします。
ふたたび反省して、明日書くことにします。
この前にサラリと書いた、孔子さんのおことばが耳にいたいです。私は憤慨せず、怒りのパワーが何もなくて、ぼんやり立ち向かっています。だから、力が出ないのだと思われます。私の本当の相撲はいつになったらとれるのかなあ。そんなことをわざとらしく書いているようでは、一生ちゃんとした相撲取りにはなれないですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/0f/85273c995a4f9763736042bafb9dc928.jpg)
もう、そんなの知らないニヤン! もっと発憤しなさいニャン!