こんな大変な時なのに、のん気に13時から2時間半ほどNHK-BSで映画を見てしまいました。とんでもない私の、申し訳ないお休みです。ホントにいつから仕事するつもりなんだろう。世の中の人は、みんな今日あたりからお仕事されているというのに、どうぞ、お許しくださいませ。
さて、1996年のアカデミー賞の作品賞をとった作品だったそうです。それはどこかで聞いてたのかもしれません。でも、名作風の雰囲気もあるし、何だか自分には関係ないような気がして、二十数年無縁のままでしたが、ここに来て突然に出会い直しをしました。
お話は、ハンガリーの貴族の人が第二次大戦前のアフリカの砂漠に来て、そこでいろんな砂漠仲間と交流するうち(文化的探検・探索をして、結果的には泳ぐ人の壁画を見つけたという考古学的な発見もあるようです。でも、フィクションもあるし、確かにそういう洞窟はあったみたいですが、そこで撮影したのではないということでした)、仲間の奥さんと不倫関係になり、その関係に嫉妬した夫は飛行機で事故を起こし、一緒に乗っていた奥さん(主人公の不倫相手)も、負傷して、洞窟に取り残され、主人公は助けを求めに町まで三日かけて出て、戻って来た時はすでに愛する彼女もなくなっていた。
そんな内容でした。ただの不倫を描くのに二時間半もかかるなんて、物語をいつくかの関係と謎解きと、ジュリエット・ビノシュさんの看護師さんとインド系の爆弾処理兵との恋愛も絡めていたのですね。
二時間半を見続けて、やっと一つの不倫が終わり、別の恋はこれからどうなるのか不明というところで終わります。
どうしてこんな映画が作られたんだろう。見た人間は、どう受け止めたらいいんだろう。と、しばらく考えてみたのですが、よくはわかりませんでした。
大戦前のアフリカの砂漠という、特別な環境。そこにいるものたちは、ヨーロッパ大陸にない解放感と、現地の人々に向き合わねばならないので欧州人としての連帯感も感じつつ、自由なんだけど(何にも束縛されない砂漠にいるのですから)、それぞれの土地での地位や関係に縛られ、完全な解放感は手に入れられなくて、せいぜい普段なら経験できない特別なものを得ようとしている。
砂漠にいる欧州人たちは、地元にある時と同じようにいかに生きるかを問われていたんでしょうか。とりあえず、やれることをやる。けれども、ドイツ軍はやって来ますし、それに対抗してイギリス軍などの連合軍もアフリカで見えない対立をしていました。
旅にある時の感情に似ていると言えるんでしょうか。特別な体験と、やりたいことを求めている。そして、たまたま主人公は、知らず知らずに友人の奥さんに少しずつ惹かれていく。そのダンナは、こんなところに来ている強い女だからと、奥さんを放任し、しらぬ間に彼女が他の男の沼にはまっていくのを気づかずにいる。気づいた時には、自慢の飛行機で相手の男を殺そうとし、逆に自分の命を落としてしまうのでした。
主人公の男は、町へ救いを求めたけれども、救うことができず、自分の飛行機で亡くなった彼女と砂漠のフライトを楽しむ。それをドイツ軍に撃ち落とされ、全身を大やけどして、記憶も何もかも忘れた男として映画の冒頭に出てくるのです。この主人公と死んでしまった不倫相手の飛行が映画の最初と最後に描かれ、こんな風にして二人の恋は終わったのかと、私たちは確認できるようになっていました。
男がこの飛行機事故にどんな風にたどり着くのか、少しずつ語られていく。その話を引き出す役割が、男を看護しているカナダ人ということになっているジュリエット・ビノシュと、主人公にとんでもない目に遭わされた復讐にやって来たウィリアム・デフォーの二人という役者さんで、謎の男との関わりによって物語は進んでいくのです。
観客は、結末から元に戻り、もう一度現実に戻ったら、第二次大戦は終わり(主人公たちはイタリアの南に滞在しています)、残された重傷者の主人公は死んでしまう。
そんな話でした。イマイチうまく語れていないですね。そして、どうして戦中の不倫の物語なんだろう。
たぶん、砂漠という特別な環境で、人間たちの感情が研ぎ澄まされ、ぶつかり、様々なドラマを起こす、そういうのを一緒に体験してもらって、私たちもいつそんな必死になって生きてく状況になるのか、私たち自身もそれぞれの環境で、感情も行動も研ぎ澄まし、必死になって生きていく。そういうのを感じてもらう。そういう作品賞だったでしょうか。
でも、私は、好きになれそうなキャラが見つけられなくて、ジュリエットさんとか、その恋人となるインド系の兵士さんとのエピソードにホッとするくらいだったかな。もっと明るい物語、すべてを忘れさせてくれる二時間が欲しかったかな。