昨日、奥さんと夜に近所の店で食パンと梨三つ買って、とことこ歩いていました。ほんの2000歩くらいの夜歩きでした。
どうも、最近まっすぐに歩けていない気がする、奥さんと歩道を歩いたとしても、何度もぶつかりそうになります。彼女がフラフラしてるのか、私がふらついているのか、たぶん、私がまっすぐ歩けないんだと思い、クルマが通らないのをいいことにして車道のセンターラインを踏むように歩いてみました。
すると、三メートルくらいならセンターラインを踏めるけれど、そのまま歩いているうちに踏み外して、ドボンと落ちてしまう感じでした。
そう、小さい頃、コンクリートで作られた建物の仕切りとか、公園の遊具、その細い尾根道みたいなのを歩くのは割と得意だったような気がするんです。石鎚山とか、いろんな高山の切り立った尾根道、そんなの簡単だ、とホイホイ歩くイメージはあるんだけど、たぶん、今なら簡単に谷底に落ちる気がします。細いねえ。怖いねえ。危ないねえ。と、ニコニコとチャレンジしたはいいものの、簡単に数メートルで転落してしまう。
何ということでしょう。こんな危なっかしい大人になっていたのか。まっすぐに歩けない、昼間でも酔っぱらっている歩きの平衡感覚を失ったオッサンだったのか。
奥さんも、掛ける言葉もなくて、大丈夫だよ、と励ましてくれるけれど、私は危ないと自覚しています。最近は「体幹」という言葉を聞くようになったけれど、私の小さい頃は、そういうことを教えてくださる人もいなくて、私の体は(心も?)ズレまくりです。もっと体幹を鍛えたら、まっすぐに動くこともできたろうに。まあ、今からでも頑張りたいです。
時々、私たちに挨拶してくれるワンコ、夜になると近所を見まわるネコなど、出会えたら楽しいな、うれしいな、という生き物には出会えず、家の近所で、もう何十年もご近所なんだけど、なかなか会えない仲間であり、友だちである人に声をかけられました。
「すぐにわかった!」と言われてしまった。
確かに、うちの奥さんとのコンビであれば、私たちくらいしか、夜にモタモタと歩いている人はいなかったかもしれない。私は、声を聞いて、ああ、と思い出せましたが、遠くからやって来る人影に実は緊張していました。
彼は、お仕事の帰り、ということでした。遠いところにお勤めされてて、今やっと駅からトボトボ歩いてきたということでした。一時間弱は歩いたんでしょう。病気をした彼は、リハビリなのか、歩いている姿を見ることがありました。でも、以前のパリパリ、キビキビした姿ではなくて、心がそこにないような感じで、とても声をかけるような感じではなかったんです。
それが、昨日は向こうから声をかけてくれて、元気にお仕事を遠くまで通ってされているということで、私たち夫婦としても、ご近所の彼が、ようやく一時期の低迷を抜け出せて、また少しずつ昔に戻れるように頑張ってるんだ、と聞かせてもらえて、ホッコリとすることができました。
これから、また近所で出会うことがあったら、こっちからも声をかけていいんだという気がして、そういうチャンスはなかなかないけど、せっかくのご近所なんだから、また何かあったら、ほんの少しでも言葉を交わしたい、そんな気持ちになりました。
だいぶ、元気になられたみたいですよ。うれしかったんだから。