古い時代のことを、いろんな人や本などに教わりながら、少しずつ自分のものとしている私は、確か、この映画も見たことがありました。
吉永小百合さんと渡哲也さんが、広島の町で出会い、少しずつお互いを好きになっていく映画でした。昔のことだから、クルマをぶっ飛ばすとかなくて、二人で自転車を押しながら、トボトボ歩いてたりする場面が印象に残りました。
見たのは、BSだったのか、とにかく昔です。何十年も前のことでした。
うちにある古いキネマ旬報で、どんな映画だったのかを見てみたら、渡哲也さんが四歳で被爆した子どもで、彼女もできて、青春真っ盛りというところでいのちを落としてしまい、小百合さんは、そこから立ち直ったのかと思ったら、彼女も彼の後を追うという内容だったそうです。
そういうことがあったのかもしれないし、そんな悲しい男女の物語が映画にされてしまった。
今だったら、また違う展開もあるのかもしれないけど、彼女はそれほどまでに思いつめ、彼といつまでも結ばれたかった、ということなのかと悲しくなります。
それで、ふと吉永さんは、原爆を取り上げた詩の朗読活動をされてて、BGMは坂本龍一さんが担当していた、というのを思い出しましたけど、もう吉永さんは、1966年以前から2023年の今まで五十何年も原子爆弾の傷ましさに向き合い、それをみんなに訴える活動をされてきたのだと思いました。
ずっと一つのことを続け、いろんな人を巻き込んで少しずつ活動する、なかなかできないことだなと思います。私に、何かお役に立てることあるかな? いや、私は私で、やれることを考え、みんなを巻き込んでいかに戦争や核爆弾が意味のないことか、そういう気持ちになってもらえるように話し合いたいですけど、なかなかそういう相手がいないですね。
たいていの人は、経済のためなら、平和のためなら、犠牲者を少なくできるのならば、仕方がないけれど、核の使用もありかもしれない、などという意見に流されることもあるでしょう。
でも、それは永遠の悔いと被害を残し、実は何の効果も生み出さないものなのだという話し合いをしたいです。
ずっと続けて来られたこと、そのキャリアの最初の頃に、こんなヒロインを演じていた吉永さんの抱えてきた重さを改めて思いました。
『愛と死の記録』の二年前に、吉永さんは『愛と死を見つめて』という映画にも出ておられます。こちらはヒロインの吉永さんが21歳で亡くなってしまうもので、実話をもとにした作品だったようです。相手役は浜田光夫さんだったみたいです。
あの、♬まこ甘えてばかりでごめんね、ミコはとっても……という歌まで流行った作品でした。ネットで見てみたら、眼帯姿の吉永さんが出てくるから、こちらもテレビで見たような気がします。
でも、この二作品とも、私の琴線には響かなくて、「どうしたらいいんだろう。こんなに好き合っていたのに、離れ離れになってしまうこともあるのか」と、無力感に包まれるだけでした。私には、そこから生きてく元気が生まれて来なかった。
だから、映画は見たけど、もうなるべく見ないようにしよう、みたいな気分を持っていました。でも、これから、チャンスがあれば、見てみたいです。何か発見があるかもしれないし、原子力に向き合う自身へのエネルギーになるかな。どうだろう。