前にも書きましたが、20代後半まで、太宰治さんを読んだことがありませんでした。それは、良かったのか、悪かったのか、たまたま私は太宰さんに出会う場面がなかったのです。
若いときに出会ってても、どれくらい好きになれたのか、それはわかりません。太宰さんよりは、司馬遼太郎さんであり、海音寺潮五郎さんでした。太宰さんと同い年の松本清張さんは、これまた出会いがなくて、ものすごく売れているのは知っていたけれど、流行作家には手を出さない、古典主義の私は、それよりは吉川英治さんであり、夏目漱石先生が好きでした。
だから、こんなエキセントリックな、変なオヤジになってしまった。もっと堂々としたオトナになりたかったのだけれど、とうとうそれはなれずじまいです。
文壇の大御所といわれる人たちが亡くなられて、阿川弘之さんも、野坂昭如さんも亡くなられて、残るは佐藤愛子さんと瀬戸内寂聴さんと、あと何人おられるのかという感じで、それ以降の世代は、文壇として固まっている人たちはいないんじゃないでしょうか。
村上春樹さんも、村上龍さんもつづいていく世代だけど、みんなで固まって何かしていくという、徒党を組むタイプではありません。今の作家たちは、みんなポツンと存在していて、あまり連帯していない感じです。
太宰さんだって、一匹狼みたいな、なんだかあぶなっかしい存在だったと思われますし、実際にそのまんま女の人と入水自殺なんかしてしまう、あぶなっかしいことをしてしまう作家だったけれど、1人ではありませんでした。
「富岳百景」という小説の中では、作っている部分はあるのだろうけれど、先輩の井伏鱒二さんと山歩きに出かけたり、縁談の世話役みたいなことをしてもらったり、わりと先輩にかわいがられているところも見え隠れします。
井伏さんにそのつもりはなくても、太宰さんには先輩を慕いたい気持ちもあった。そうした甘えた部分を持ちつつ、作家集団のやわらかな連帯があったような気がするのです。だから、小説は、最後には、読む人を少しだけ明るい気分にもさせてくれて、世界が開けたような感じが味わえるのでした。
太宰さんの「富岳百景」のことを書いているんでした。
もう今から2年前の夏、1人で山梨の旅に出て、鳴沢の道の駅で一夜を明かし、そして、帰って来たことがありました。
この時の旅は、1人だったけれど、それなりに楽しめて、高校時代にできなかったことが、こんなオッチャンになって初めてできたと思うと、少しだけ成長した気分でしたっけね。
つまんない私の成長ですね。もっとましなオトナにならなきゃいかんのに、チッポケなことでくよくよし、ワクワクしている。そんな私なんですね。
太宰さんは小説の中で言います。「富士山にまかせよう!」と。
富士山は、たぶん、そんな人間どもの願いなんかまるっきり聞かないと思われますが、
「言うだけは言っておきなさい。そうしたら、いつかは願いがかなうかもしれないよ。それまでは、とにかく言いなさい!」
そう言ってくれてるような気がします。(まあ、私の都合のいい解釈ですけどね……)
だから、私たちは、今も、明日も、富士山に会いたがり、富士山に願いたがるのでした。
若いときに出会ってても、どれくらい好きになれたのか、それはわかりません。太宰さんよりは、司馬遼太郎さんであり、海音寺潮五郎さんでした。太宰さんと同い年の松本清張さんは、これまた出会いがなくて、ものすごく売れているのは知っていたけれど、流行作家には手を出さない、古典主義の私は、それよりは吉川英治さんであり、夏目漱石先生が好きでした。
だから、こんなエキセントリックな、変なオヤジになってしまった。もっと堂々としたオトナになりたかったのだけれど、とうとうそれはなれずじまいです。
文壇の大御所といわれる人たちが亡くなられて、阿川弘之さんも、野坂昭如さんも亡くなられて、残るは佐藤愛子さんと瀬戸内寂聴さんと、あと何人おられるのかという感じで、それ以降の世代は、文壇として固まっている人たちはいないんじゃないでしょうか。
村上春樹さんも、村上龍さんもつづいていく世代だけど、みんなで固まって何かしていくという、徒党を組むタイプではありません。今の作家たちは、みんなポツンと存在していて、あまり連帯していない感じです。
太宰さんだって、一匹狼みたいな、なんだかあぶなっかしい存在だったと思われますし、実際にそのまんま女の人と入水自殺なんかしてしまう、あぶなっかしいことをしてしまう作家だったけれど、1人ではありませんでした。
「富岳百景」という小説の中では、作っている部分はあるのだろうけれど、先輩の井伏鱒二さんと山歩きに出かけたり、縁談の世話役みたいなことをしてもらったり、わりと先輩にかわいがられているところも見え隠れします。
井伏さんにそのつもりはなくても、太宰さんには先輩を慕いたい気持ちもあった。そうした甘えた部分を持ちつつ、作家集団のやわらかな連帯があったような気がするのです。だから、小説は、最後には、読む人を少しだけ明るい気分にもさせてくれて、世界が開けたような感じが味わえるのでした。
太宰さんの「富岳百景」のことを書いているんでした。
もう今から2年前の夏、1人で山梨の旅に出て、鳴沢の道の駅で一夜を明かし、そして、帰って来たことがありました。
この時の旅は、1人だったけれど、それなりに楽しめて、高校時代にできなかったことが、こんなオッチャンになって初めてできたと思うと、少しだけ成長した気分でしたっけね。
つまんない私の成長ですね。もっとましなオトナにならなきゃいかんのに、チッポケなことでくよくよし、ワクワクしている。そんな私なんですね。
太宰さんは小説の中で言います。「富士山にまかせよう!」と。
富士山は、たぶん、そんな人間どもの願いなんかまるっきり聞かないと思われますが、
「言うだけは言っておきなさい。そうしたら、いつかは願いがかなうかもしれないよ。それまでは、とにかく言いなさい!」
そう言ってくれてるような気がします。(まあ、私の都合のいい解釈ですけどね……)
だから、私たちは、今も、明日も、富士山に会いたがり、富士山に願いたがるのでした。