お仕事は何ですか? はい、詩人を仕事にしています。
そういう受け答えができるようになりたい、という友人がいた。
Kは、自分はすでに詩人のつもりなので、何を恥ずかしがっているんだろう。私は詩人だなんて、自分が言えばいいんだよ。言ったもの勝ちなんだよ。と、思っていた。
けれども、詩人でメシを食うというのは、簡単なことではなかった。それは、想像はつくのだけれど、テレビのコメンテーターをしたり、他の分野に首を突っ込まなきゃいけないし、本業(ある程度の収入が得られる職業)を持つ必要があった。
私は詩人です。というのは、ただのポーズであって、詩人でメシを食う人は、この日本には数えるばかりだ。
あえて言う。Kは詩人のつもりで、いつかは小説家にでもなるつもりでいた。それが高校の成績の低迷で、学業と小説の才能はリンクしないものなのに、すっかり夢はしぼんでいった。
そんな2年の秋の走り書きがある。
子どもたちの絵[1976.11.27 Sat]
大人には幼稚園の子どもたちの絵に、何が描いてあるのか、ちっともわからないで、わかるのは、お日さまくらい。それだけしか、もうわからなくなっていた。
けれど、子どもたち同士には、はっきりとわかりあえる、通じ合う世界が広がっている。
今朝、学校に行く途中、T駅近くの信号のところで、長い間(自分には、そう思われた)会わなかったSさんが立っていた。自分はバスの中にまだいた。そして、彼女は駅の中に行ってしまった。後から追いかけたけど、もういなかった。Sさんは中学の時からぼんやりと好きな子だった……。
このごろ、自分は恋とか愛とか、そういったイヤな文句は忘れたような気がする。といって、女の人のことを忘れたわけじゃない。ただ、どっちみち将来お嫁さんをもらう。もうお嫁さんだったらだれでもいい気がしてきた。そして、そのお嫁さんと一緒に、強く、大きく、時には静かに、この世を生き、また、大いに動いて、生き抜いていきたい。とまあ、思っているのかもしれない。……静かに暮らすのがいいのか、悪いのかわからないけど……。
でも、Sさんに会いたかったから、今日(一方的だけど)会えてうれしかった。彼女は髪型が少し変わったみたい。額を見せるような髪型に変わっていた。女らしさが加わったのかもしれない。
だから、自分もたくましく、正しく、まじめに生き抜いて、できれば彼女を思いつづけたい。
残念ながら、修学旅行の失敗でT子さんのことは諦めてしまっていた。十一月末の時点でまた他の人に心が移っているとは、困ったことだ!
修学旅行は、男ともだちとの交流は進んだ。しかし、残念ながら、恋愛とは全く関係のない旅となった。蓼科高原に四泊もしていろいろな夜があったわけで、クラスの女子との肝試し、男たちが集団となり近くの女神湖を歩くカップルのうしろを付いて歩くなどした。けれども、K自身の恋を成就することはできなかった。ある程度予想された結果となったのである。恋が生まれるには、ある程度の雰囲気みたいなものが必要だし、それをつかもうとする熱情と運動神経が必要だ。それがすべてKには持ち合わせがなかった。ただ座して待っていただけである。
さて、Sさんは中三のおわりごろに好きになった人であった。それ以降全く会うチャンスもなく、何も生まれず、時間は過ぎていくだけだ。人を好きになるということは、ただのあこがれではダメなのである。人を好きになるというのはもっとみっともないことなのだ。どうしてそんなみっともない、何の得にもならないことをするの? というような、涙ぐましくも情けない姿で、ユッサユッサ行かなくてはならないものだ。
クラスメートのT子さんは、がむしゃらに頑張る人で、のちに母校での教育実習でKはT子さんと再会した。二週間の実習が終わり、少しだけ話ができるようになって、実習の打ち上げのコンパの時に、
「高校のとき、T子さんのこと好きでした」と言えるようになれた。
彼女も酔った勢いで「あらそう。その時に言ってくれたらよかったのに」と返してくれた。
その時に言えたら苦労はなくて、言えないので頭を抱えて悶々とする自分こそが自分であり、酔った勢いで言い訳するのは、もう本気ではない自分である。
ああ、それにしても、何とタイミングが悪い、人の気持ちを考えないK君だ。そんなことを言われたら、冗談で返すしかないではないか。心の中を打ち明けるには、それにふさわしい状況で話さねばならない。それなのに、冗談めかして言うなんて、そのことだけで恋愛するに足らない相手だと、T子さんも思ったことだろう。
ただ、Kはこの時、ちゃんとした彼女がいたから、そんなふざけたことができたのだろう。
いや、それにしても、失礼に変わりはない。こんな人とは、二度と会いたくないと思うのが自然だと、筆者は思うのである。
そういう受け答えができるようになりたい、という友人がいた。
Kは、自分はすでに詩人のつもりなので、何を恥ずかしがっているんだろう。私は詩人だなんて、自分が言えばいいんだよ。言ったもの勝ちなんだよ。と、思っていた。
けれども、詩人でメシを食うというのは、簡単なことではなかった。それは、想像はつくのだけれど、テレビのコメンテーターをしたり、他の分野に首を突っ込まなきゃいけないし、本業(ある程度の収入が得られる職業)を持つ必要があった。
私は詩人です。というのは、ただのポーズであって、詩人でメシを食う人は、この日本には数えるばかりだ。
あえて言う。Kは詩人のつもりで、いつかは小説家にでもなるつもりでいた。それが高校の成績の低迷で、学業と小説の才能はリンクしないものなのに、すっかり夢はしぼんでいった。
そんな2年の秋の走り書きがある。
子どもたちの絵[1976.11.27 Sat]
大人には幼稚園の子どもたちの絵に、何が描いてあるのか、ちっともわからないで、わかるのは、お日さまくらい。それだけしか、もうわからなくなっていた。
けれど、子どもたち同士には、はっきりとわかりあえる、通じ合う世界が広がっている。
今朝、学校に行く途中、T駅近くの信号のところで、長い間(自分には、そう思われた)会わなかったSさんが立っていた。自分はバスの中にまだいた。そして、彼女は駅の中に行ってしまった。後から追いかけたけど、もういなかった。Sさんは中学の時からぼんやりと好きな子だった……。
このごろ、自分は恋とか愛とか、そういったイヤな文句は忘れたような気がする。といって、女の人のことを忘れたわけじゃない。ただ、どっちみち将来お嫁さんをもらう。もうお嫁さんだったらだれでもいい気がしてきた。そして、そのお嫁さんと一緒に、強く、大きく、時には静かに、この世を生き、また、大いに動いて、生き抜いていきたい。とまあ、思っているのかもしれない。……静かに暮らすのがいいのか、悪いのかわからないけど……。
でも、Sさんに会いたかったから、今日(一方的だけど)会えてうれしかった。彼女は髪型が少し変わったみたい。額を見せるような髪型に変わっていた。女らしさが加わったのかもしれない。
だから、自分もたくましく、正しく、まじめに生き抜いて、できれば彼女を思いつづけたい。
残念ながら、修学旅行の失敗でT子さんのことは諦めてしまっていた。十一月末の時点でまた他の人に心が移っているとは、困ったことだ!
修学旅行は、男ともだちとの交流は進んだ。しかし、残念ながら、恋愛とは全く関係のない旅となった。蓼科高原に四泊もしていろいろな夜があったわけで、クラスの女子との肝試し、男たちが集団となり近くの女神湖を歩くカップルのうしろを付いて歩くなどした。けれども、K自身の恋を成就することはできなかった。ある程度予想された結果となったのである。恋が生まれるには、ある程度の雰囲気みたいなものが必要だし、それをつかもうとする熱情と運動神経が必要だ。それがすべてKには持ち合わせがなかった。ただ座して待っていただけである。
さて、Sさんは中三のおわりごろに好きになった人であった。それ以降全く会うチャンスもなく、何も生まれず、時間は過ぎていくだけだ。人を好きになるということは、ただのあこがれではダメなのである。人を好きになるというのはもっとみっともないことなのだ。どうしてそんなみっともない、何の得にもならないことをするの? というような、涙ぐましくも情けない姿で、ユッサユッサ行かなくてはならないものだ。
クラスメートのT子さんは、がむしゃらに頑張る人で、のちに母校での教育実習でKはT子さんと再会した。二週間の実習が終わり、少しだけ話ができるようになって、実習の打ち上げのコンパの時に、
「高校のとき、T子さんのこと好きでした」と言えるようになれた。
彼女も酔った勢いで「あらそう。その時に言ってくれたらよかったのに」と返してくれた。
その時に言えたら苦労はなくて、言えないので頭を抱えて悶々とする自分こそが自分であり、酔った勢いで言い訳するのは、もう本気ではない自分である。
ああ、それにしても、何とタイミングが悪い、人の気持ちを考えないK君だ。そんなことを言われたら、冗談で返すしかないではないか。心の中を打ち明けるには、それにふさわしい状況で話さねばならない。それなのに、冗談めかして言うなんて、そのことだけで恋愛するに足らない相手だと、T子さんも思ったことだろう。
ただ、Kはこの時、ちゃんとした彼女がいたから、そんなふざけたことができたのだろう。
いや、それにしても、失礼に変わりはない。こんな人とは、二度と会いたくないと思うのが自然だと、筆者は思うのである。