鶴来(つるぎ)駅から白山(しらやま)比め神社まで行こうという人は、2両の車内にも何人かはいたといたと思われます。その人たちがどんなふうにして神社まで向かったのか、私にはわかりませんでした。バス停で路線図やらを必死になって確認したり、駅員さんに訊いてみたらわかったのか、それとも駅前のタクシー営業所に行って、神社までどれくらいの運賃がかかりますかと訊いてもよかったでしょうか。
でも、シブチンの私は、よくわからないなら歩いてみようと、そもそも歩くつもりで来ていたので、だいたいの方角に歩いていきました。
道は、そんなに歩きやすくはなくて、歩道には雪が残っているし、場所によっては車道を歩かねばなりませんでした。冬じゃなかったら、もう少し人の往来もあったのかもしれないし、余裕があればスーパーにも入ったでしょうけど、余裕はありませんでした。神社にお参りして13時2分鶴来発の電車に乗らなくてはなりませんでした。
石川県の加賀平野は、東南の県境に白山がそびえています。人々はそれぞれの角度から白山という存在に親しみを感じ、みなそれぞれの登山体験を抱えて生きておられる。そこから流れ出した川は手取川というそうで、何度かテレビで見ていたりしました。
火野正平さんの「こころ旅」という番組でも、手取川を眺める絶景やら、その川沿いの思い出を取り上げていた回もありました。だから、私なりに手取川のイメージは持っていて、扇状地を形成するくらいに山から突然開けたところでワッと日本海に向かう、そんなイメージを持っていました。
金沢という町も、市街地の北側に浅野川、南側に犀川という平行に流れる川を持ち、二つの川に挟まれた台地のところにお城と城下町が作られていました。当然のことながら、川は海に向かって行きますし、北北東から南南西に広がっている石川県は海は西に存在するし、その海に向かって石川県の人々の心のふるさとである最南端の白山から北西方向に進んでいく。
川も人も、その流れで海に出て、江戸時代であればそこから南へ、または北へと向かって行きました。もっと昔は、はるか西側の大陸ともつながっていたことでしょう。
私の乗っている電車・北陸鉄道の石川線も、たったの30分程度ですけど、ディープな石川県に入る取っ掛かりまで連れて行ってくれます。電車でさらに深みに入ろうと思うと、大きなトンネルでも掘らなきゃならないし、そこまでする意味はないから、今は鶴来駅が終点になっています。昔は、もう少し奥まで、実は白山比め神社のそばまで走っていたそうですが、鶴来と加賀一之宮間の路線は廃止になったそうです。私はそれは知りませんでした。廃線があるのなら、そこも歩きたかったのに! とにかく、地元の人は、電車でお参りする必要を感じておられないようでした。
だから、鶴来駅から神社に連絡するバス路線もはっきりわからず、来た人はそこでうろたえるしかありませんでした。私もクルマでお参りすればよかったわけですが、無計画で、できれば新幹線が敦賀まで来る2024年の3月までに、サンダーバードとしらさぎに乗りたかったんでした。だから、電車でとにかく行こうとしているのに、アクセスがサッパリで、何だか残念な感じです。
冬に北陸にクルマで出かけるなんて、三重の田舎者の私には、少し経験が足りなくて、自信がありませんでした。スキーなどで雪国に何度も出かけている人であれば、その対処方法がわかるんだろうけど、そういうこともしてきませんでしたし……。だから、電車だったんです。
鶴来の町は、静かで落ち着いていて、古い建物もあるし、古い神社もあるし、立派な酒蔵もあるし、古くから開けていた町のようです。
現代は、古くからある伝統的な町というのは切り捨てられる傾向にあるから、鶴来町から金沢まで出るのにクルマで小一時間かかるだろうし、駐車場を家のそばに確保できないし、それなりに家は詰まっているから、新しい建物は立てられないし、山は手取川に沿って両サイドにそれなりに迫っているし、白山信仰と手取川の水と、おそらく伝統産業と、日本酒メーカーと(コンクリートの立派な建物は、加賀菊酒、菊姫酒造という会社でした。せめてここのお酒くらい買って帰ればいいのに、そういう余裕もなかったんですね。なんてことだ!)、古い街道沿いの町、それが鶴来町(現在は白山市)でした。
できれば、そうした文化を生かし、ここにここならではのコミュニティを作って、よそに発信していくとか、できるとなかなかいいんだけど、簡単ではないですし、どこでもそうした取り組みはなされていると思います。
難しいです。でも、差し当たって、鉄道好きの私としては、今ある北陸鉄道の2つの路線を市街地部分だけ地下鉄にして、南北に縦貫するルートを作ると、山手から金沢の港まで電車一本で行けてしまうから、なかなか地域の活性化にはなるかなと思ったりしました。需要はあると思うんですが、金沢市が一大事業として地下鉄を作るのは大変なのかな。無理かもしれませんね。鉄道がそこにあって、それに乗ればめざすところにたどり着けるというのは、ものすごい安心感があるんだけど、地元の人はもう諦めていますか。そういう風に経済はできてますよね。
三重県民だって、電車を使ってお伊勢参りをしているのか、そこを問われるところでしょう。残念ながら、ちゃんと利用できてないもんな。
少し道に迷いもしたんですが、どうやら川沿いに道は山手に向かっていて、手取川そばまでたどり着きました。余裕があれば、川を上から見わたしたり、そんなこともできましたが、すべては切り捨てて、とにかくお参りすることだけを第一に来ています。
でも、道の左側に深い水路があって、後で調べてみたら「七ケ(しちか)用水」という歴史ある水路の始まりだったそうです。
この取水口の少し上にかつての駅があり、私は廃線跡をどこかでたどれたのかもしれないし、ちゃんと確認もできていませんでした。
扇状地にせり出した台地の上につくられたお社みたいで、そこに神様は鎮座されたということです。紀元前91年にお社ができて、現在地に移ってからは数百年が経過しているとか、駐車場はどこもいっぱいで、「ああ、みなさんクルマで来てたのか」と、お社に来たとたんに参拝客がいっぱいになりました。でも、こちらは今のメインではないようで、バイパス沿いの駐車場は、そちらに入れないクルマの列ができて、道はずっと止まったまま、私が歩いていない山側の道はお社に向かう車の列また列、みんなまだお正月だったんだ、のん気なのは私だけではなかったのだ、と少し安心しました。でも、あの渋滞にはまり込んだら、私だったら、絶対にパニックになったことでしょう。
ああ、歩きでよかった、と変なところで納得してましたっけ。