終夜が波の響きと風の音と、それに雑多の――それは帆柱に降る、船室の屋根の上甲板に降る、吊りボートに降る、下の甲板に降る、通風筒に吹きつける、欄干(てすり)に降る、――雨の音であった。船の揺れはますます激しく、私のいわゆる王様のベッドの洋銀の欄干、網棚、カーテンの鐶(かん 金具のこと?)などは、しっきりなく音を立てて鳴った。
白秋さんは1925年に東京から樺太に向かう観光船に乗っていました。小樽で停泊したりしながら、いよいよ宗谷海峡を越えようとしている。気候は変化して、緯度の高い海の様子を示していました。
「おやおや。」と私は思った。だが、いつのまにかぐっすりと眠り入ってしまったものらしい。夜が明けると、早くから飛び起きて、すぐにメリヤスの襯衣(シャツ)に浴衣で、ドアを押してみたが、颯(さっ)と来る雨霧に慌てて首をすっ込ますと、早速(さそく)にレインコートを引っかぶってしまった。
「なるほど、樺太は寒いな。」と。〈北原白秋「フレップ・トリップ」より〉
これが樺太への旅の記録「フレップ・トリップ」(1925→2007岩波文庫)の104ページでの感想です。ここまではずっと船の中ではしゃいでいた記録でした。楽しげではあるけど、何だか浮ついているなあという印象もありました。あと300ぺーじもあるから、これからどんなことが待っているのか。観光のはずだから、樺太でも優雅に旅するんでしょうか。それともワイルドな旅になるのか、それを期待して読み進めたいと思います。
私は、暑いからなのか、樺太への旅を、本の上や記録の上でしてみたいと思っています。
いろんな人たちが樺太・サハリンを旅しています。白秋さんは、観光地としてなのかな。岡田嘉子さんは通過点というか、関門としてここを越えねばならなかった。宮沢賢治さんは、妹さんの魂のありかを求めての旅でした。
旅にはいろんな目的がありました。私は、漠然とした「どこかへ行きたい」という希望だけを持っていて、どこかを訪ねたい。そこに行かなきゃダメだ。なんていう強い気持ちがありませんでした。
それではなかなかはね返ってくるものはないかもしれない。
いや、そうではなくて、ただ外に出ただけで、あれこれと感じる心は刺激されるから、それはどこだっていいのだ、ということもあるはずです。そう、どこかに行けたら、楽しいこともあるんでしょうか。