その一
白魚(しらうお)はさびしや
そのくろき瞳(め)はなんといふ
なんといふしをらしさぞよ
そとにひる餉(げ)をしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなやな雀しは啼(な)けり
もう冒頭からわかりません。白魚を食べようとしているんですね。おどり食いかな。そりゃ、かわいそうにもなるけど、どうして食べる寸前にそんなことを言うのです。バサリと割り切って、食いちぎらなければいけないのに!
その二
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさと思ひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
ふるさとは、いつもどこかに引っかかっているもので、ふるさとと呼べるような土地から切り離された者だけが「ふるさと」を話題にすることができる。
たとえば、私。私は生まれた土地のカゴシマ? 育った土地の大阪、一時期住んだ山梨、三重の南は6年間、松阪は20年以上、ああ、私の安息の地はあるのでしょうか。
たぶん、私にはふるさとはない。というのか、すべてがふるさとだ。いや、どこがふるさとだ。ずっとふるさとを探して生きていくことにしよう。
犀星さんは、金沢がふるさと? でも、この書きぶりではふるさとは帰りたくない土地のようだ。一体全体、どこへ行きたいのだろう。
その三
銀の時計をうしなへる
こころかなしや
ちよろちよろ川の橋の上
橋にもたれて泣いてをり
時計はどこで無くしたんだろう。思いで深い時計だったのかもしれない。橋の上で悲しんで泣くなんて、少しできすぎだ。もっと違う状況の方がありがたい。これはあまりにペシミスティックだ。
金沢の川のような気がする。橋として泣いてOKの風景とそうでない橋があるような気がする。金沢の橋の上なら、悲しくて泣いてもいいような感じ。
かくしてとりとめのない6月の終わり。
室生犀星さんは、好きであると決めつけることが大事で、よくわからないのに、私は犀星さんが好きなのだと勝手に規定して、詩人面をしていた。今は、詩人ではなくて、ボケ俳人なので、犀星さんに対するリスペクトをなくしているけど、好きだったという記憶はありますね。
そうだ。私の毎日は詩のない毎日なのです。フラフラと歩いて行くだけの、淡々とした日常があるだけです。何だか悲しいなあ。
白魚(しらうお)はさびしや
そのくろき瞳(め)はなんといふ
なんといふしをらしさぞよ
そとにひる餉(げ)をしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなやな雀しは啼(な)けり
もう冒頭からわかりません。白魚を食べようとしているんですね。おどり食いかな。そりゃ、かわいそうにもなるけど、どうして食べる寸前にそんなことを言うのです。バサリと割り切って、食いちぎらなければいけないのに!
その二
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさと思ひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
ふるさとは、いつもどこかに引っかかっているもので、ふるさとと呼べるような土地から切り離された者だけが「ふるさと」を話題にすることができる。
たとえば、私。私は生まれた土地のカゴシマ? 育った土地の大阪、一時期住んだ山梨、三重の南は6年間、松阪は20年以上、ああ、私の安息の地はあるのでしょうか。
たぶん、私にはふるさとはない。というのか、すべてがふるさとだ。いや、どこがふるさとだ。ずっとふるさとを探して生きていくことにしよう。
犀星さんは、金沢がふるさと? でも、この書きぶりではふるさとは帰りたくない土地のようだ。一体全体、どこへ行きたいのだろう。
その三
銀の時計をうしなへる
こころかなしや
ちよろちよろ川の橋の上
橋にもたれて泣いてをり
時計はどこで無くしたんだろう。思いで深い時計だったのかもしれない。橋の上で悲しんで泣くなんて、少しできすぎだ。もっと違う状況の方がありがたい。これはあまりにペシミスティックだ。
金沢の川のような気がする。橋として泣いてOKの風景とそうでない橋があるような気がする。金沢の橋の上なら、悲しくて泣いてもいいような感じ。
かくしてとりとめのない6月の終わり。
室生犀星さんは、好きであると決めつけることが大事で、よくわからないのに、私は犀星さんが好きなのだと勝手に規定して、詩人面をしていた。今は、詩人ではなくて、ボケ俳人なので、犀星さんに対するリスペクトをなくしているけど、好きだったという記憶はありますね。
そうだ。私の毎日は詩のない毎日なのです。フラフラと歩いて行くだけの、淡々とした日常があるだけです。何だか悲しいなあ。