甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

小景異情(室生犀星)

2016年06月29日 22時00分34秒 | 一詩一日 できれば毎日?
  その一

白魚(しらうお)はさびしや
そのくろき瞳(め)はなんといふ
なんといふしをらしさぞよ
そとにひる餉(げ)をしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなやな雀しは啼(な)けり



 もう冒頭からわかりません。白魚を食べようとしているんですね。おどり食いかな。そりゃ、かわいそうにもなるけど、どうして食べる寸前にそんなことを言うのです。バサリと割り切って、食いちぎらなければいけないのに!


   その二

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさと思ひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


 ふるさとは、いつもどこかに引っかかっているもので、ふるさとと呼べるような土地から切り離された者だけが「ふるさと」を話題にすることができる。

 たとえば、私。私は生まれた土地のカゴシマ? 育った土地の大阪、一時期住んだ山梨、三重の南は6年間、松阪は20年以上、ああ、私の安息の地はあるのでしょうか。

 たぶん、私にはふるさとはない。というのか、すべてがふるさとだ。いや、どこがふるさとだ。ずっとふるさとを探して生きていくことにしよう。

 犀星さんは、金沢がふるさと? でも、この書きぶりではふるさとは帰りたくない土地のようだ。一体全体、どこへ行きたいのだろう。




   その三

銀の時計をうしなへる
こころかなしや
ちよろちよろ川の橋の上
橋にもたれて泣いてをり




 時計はどこで無くしたんだろう。思いで深い時計だったのかもしれない。橋の上で悲しんで泣くなんて、少しできすぎだ。もっと違う状況の方がありがたい。これはあまりにペシミスティックだ。

 金沢の川のような気がする。橋として泣いてOKの風景とそうでない橋があるような気がする。金沢の橋の上なら、悲しくて泣いてもいいような感じ。

 かくしてとりとめのない6月の終わり。

 室生犀星さんは、好きであると決めつけることが大事で、よくわからないのに、私は犀星さんが好きなのだと勝手に規定して、詩人面をしていた。今は、詩人ではなくて、ボケ俳人なので、犀星さんに対するリスペクトをなくしているけど、好きだったという記憶はありますね。

 そうだ。私の毎日は詩のない毎日なのです。フラフラと歩いて行くだけの、淡々とした日常があるだけです。何だか悲しいなあ。


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