小さい頃、よく母にくっついていたから、ということは何歳くらいのことなんだろう。小学生のころのことだと思われます。母の頭をさわっていて、小さなハゲになっているのを見つけたことがあります。
「おかあちゃん、これ、どうしたん?」
とでも訊いたでしょうか?
母を呼ぶときは「おかあちゃん」を使っていました。大きくなるまで使っていましたが、中学くらいで、こんな年になって「おかあちゃん」を使うのはおかしいだろうと独り合点して、「おかあさん」に変えると宣言したんでした(あいかわらずオッチョコチョイです!)。今はそれがなまって「オカァン」となっています。
とにかく母の頭をさわって、ビックリしたのです。
そうすると、母は「これはなあ……」と、母が小学校に通っているとき、あやまってガケから落ちて、絶壁から海へまっさかさまに落ちて、頭を打ったときのケガのあとだということでした。
母の通学は、海岸線沿いに当時はまだ細かった国道を歩いて行くとき、滑ったか何かしてガケから落ちた。その話を聞き、母も当時のことはくわしくは憶えておらず、足を滑らせて落ちてケガをして、この頭のキズが唯一のその記憶をとどめるものだということでした。
私たちも、何だか一緒になってガケから落ちてしまったような、こわい話で、ああ、ガケから落ちないように気をつけよう、どうしてカゴシマはそんな危ないところなんだろうなどと、つまらない妄想が広がっていたんでしょう。
そういえば、私も小さい時からつまらないケガはしましたが、その後が残っているのは、高校2年のときの大やけどと、小学校4年生のときにカゴシマのネコにシャーッとほおを切られたところと、20年くらい前の左ふくらはぎの肉離れと、数えるほどしかありません。
もっとあるかもしれないけど、思い出せないです。そうだ。頭のテッペンハゲは自分で見たことはないけど、これは最近自発的に自分の体が作り出しているモノだから、ケガのあとではないですしね。まあ、これでも少ない方なのかな。
母はカゴシマの伯母さん(実母の姉)のところで育ちました。その伯母さんのところへ、母は数年に1回くらい、私たちを連れて帰っていました。それは40年以上も昔の話です。伯母さんは私が大阪でブラブラしているとき、亡くなってしまったから、伯母さんが亡くなってからも30年以上の歳月が過ぎています。
その伯母さんもきっと母の頭のケガ、ビックリしたでしょうね。どういうふうにしてくれたのか、肝心の母が憶えていないし、伯母さんはもういないし、勝手に私が妄想するしかないけれど、たぶん、指宿の病院に連れて行ってくれたんだと思います。入院だってしたかもしれない。それとも、治療が済んだらすぐに帰らされたのか……? とにかく頭の骨は割れなかったんでした。
私が小学3年の頃、同級生の子で、何階かの建物から落ちて頭の骨が割れて、大変だったという子がいて、その子はいつもヘルメットなどをかぶっていたので、それでなおさら母のお話は鮮やかに記憶に残されてしまいました。とにかく怖いのは転落です。私は転落の前から転落のトラウマを抱えることになったようなものでした。
伯母さんは、カゴシマにもどってきた私たちに、母に呼びかけるようにして「この子たちもトゼンナカが」などとよく話していました。
何のことかはよくわからないけれど、その「トゼンナカ」という言葉は耳に残りました。そして、伯母さんのやさしい表情と心配そうなまなざしは忘れられないモノになりました。
最近お知り合いになった(?)ブログで、「徒然なか話」というのを書いておられる方がいます。
熊本は今どうなっているんだろう。地元の人の話が聞きたいと探していたら、すぐにそのタイトルが気になったんでした。
「徒然」は、「つれづれ」じゃなくて、「トゼン」なんです。東日本の方にはわからんだろうなと、つくづく思います。
まあ、私だって今は「トゼンなか」ということばを、生で聞ける環境にはないので、昔の思い出をたどるしかないのですが、この「トゼンなか」は、なかなかやさしいことばでした。
自分に対して使うのではなくて、だれかまわりの人に対して、大丈夫かな? 何だかさびしそうだけど、声を掛けようかな。でも、どんなふうに声を掛けよう、という時に、ふと相談できる人に、「……はトゼンナカろかいね」というふうにして使っていたような気がします。
「トゼン」を「徒然」と書いたら、すぐに兼好法師の「徒然草」に引っ張られて、ヒマな時に書いたエッセイ集ということだから、その「つれづれ」の別バージョンである「トゼン」も、ヒマという範囲の中でとらえられてしまいそうです。そして、そうなるとこのことばのやさしいニュアンスが伝わりません。
実際はそんなのんきな「ヒマ」という意味ではなくて、もっとだれかを心配して積極的に声を掛けるときのことばだったと思うのです。
だから、今の世の中では、いろんな人に使えます!
「イギリスのキャメロンさん、とんだ結果になってトゼンナカろうかいね」
「甘い生活さん、昨日はブログをわざとやすみにして、どうしたんじゃろう。トゼンナカタロかい?」
もっと上手に使いたいけど、使いこなせないですね。
というわけで、母のハゲと田舎のオバチャンのトゼンナカ話でした。
鹿児島でもご年配の方は「トゼンナカ」という言葉をお使いなんですね。
以前、調べた時、かつては九州の結構広い範囲で使われていたことがわかり驚いたことがあります。ということはやはり、いにしえの都ことばなんでしょうね。
私はもう40年近く前に他界した祖母がよくこの言葉を使っていましたので覚えていました。
祖母は、何かをしなくてはいけないけれど、やる術を知らないもどかしい気持を表すような時によく使っていました。
私もそれにならって、自分のブログを一人でも多くの方に読んでいただきたいけれど、それはたやすいことではないので、どうしたもんじゃろのー、というような気持でこのタイトルをつけました(笑)
そして、妻は、私が東日本の人を切り捨てるような決めつけ・思い込みで書いているとカンカンになりました。
そういうつもりで書いたわけではないのですが、文が一人歩きしてしまい、妻は気にくわなかったようです。これは夫婦のコミュニケーション不足なのだと思います。
でも、その彼女から、岩手でも「トゼン」はさびしいというニュアンスで使っていたということを改めて教わりました。
以前にそういう話を聞いたことような気もしますが、忘れていました。岩手とカゴシマ、同じような感じで同じようなことばが残っていて、もちろん熊本の方もそのことばを知っておられて、それで少しだけつながることができて……。
何も怒る必要はないし、喜ばしいことなのに、どういうわけかプンプンの奥さんでした。
また、熊本の様子、お教えくださいませ。いつかちゃんとお泊まりで熊本に行きたいと思っています。今までは熊本は通過点でしたので、もったいない感じです。ちゃんとお訪ねしたいと思います。