この夏の朝日新聞の山田洋次さん担当のコラムに、渥美清さんと吉永小百合さんが共演した時の話が載っていました。
1971年のことだったそうです。
(寅さんシリーズ)八作目の「寅次郎恋歌」(1971年)の脚本を旅館にこもって書いている時だった。渥美清さんが陣中見舞いに現れたので次の作品の説明をした。「失恋した寅が冷たい雨に濡れて寂しく去っていく、というのがラストシーンかな」と僕が言うと、聞いていた渥美さんが「そこへスッと傘を差しかけられるというのはどうです。寅が振り返ると美女が優しく微笑んで、どうぞ、と言う。これが次の回のマドンナ」。
僕は大笑いしながらそれは誰だろうと言ったら、渥美さんが「吉永小百合でしょう。小百合ちゃんは確か日本テレビの番組で局にいるはずだから、今行って頼みましょうか」と言う。僕は驚いた。渥美さん、今ノッているなと思った。脚本や配役について口を出すことは絶対しない彼が、そんな口をきいたのはあとにも先にもあのときだけです。
そんなことがあったみたいです。渥美さんはそれまでに吉永小百合さんとすでに接点があったみたいで、割とホイホイというノリで動いていますけど、自分の続けているシリーズものにヒロインとして出てもらうなら、浅丘ルリ子か吉永小百合、若尾文子、佐久間良子、そういう人たちがイメージにあって、少しずつ少しずつ、世の中の美女・スターという人たちを自分の世界に引き込んでいこうとしてたんでしょう。
まだ8作目ですから、ここから40本続く道へのその始まりのところだったんでしょう。どんどん人気作になれば、もっともっといろんなキャラクターを引き入れることも可能と見てたんでしょうか。
その翌年、『男はつらいよ 柴又慕情』(1972)でその夢は実現、衣装合わせで吉永小百合さんが初めて撮影所に現れる日、スタッフはちょっと興奮していたものです。ついにわれわれの作品はあの吉永小百合をマドンナに迎えるんだ、という喜びでしょうか。
小百合さんの役はOLの歌子。友人と旅行の際に寅さんと出会うストーリーで金沢を中心に北陸ロケ。僕の組は夜の宿ではひと部屋にスタッフが集まって、ビール片手に渥美さんの話を大笑いしながら聞くのが恒例でした。
これが映画作りのいいところで、ロケすなわち旅に出たら、その夜はみんなでお酒飲んで反省会なのか、ただのドンチャン騒ぎなのか、みんながいいとこ見せようと、このロケに来られたしあわせを語ったことでしょう。こういう夜の反省会に出たかったけれど、私は映画の世界には入れなかったし、あこがれでしかありません。
みんな若くて元気だったし、小百合さんもよくそこにいて、眼を輝かせて渥美さんの愉快なアフリカ探訪記を聞いていた。サバンナの夜、おしっこをしながら空を仰ぐと、すさまじい量の星の群れが音を立てて落ちてくるようであり、耳を澄ますとその音が聞こえてくる、という話をしたときなど、小百合さんの眼に涙が浮かぶのを見たような気がしたものです。
このネタは、渥美清さんだからできるネタです。アフリカの旅に行かれた。それを面白おかしく聞かせてくれたんでしょうね。
私なんかがしゃべっても、誰も聞いてくれなかったでしょう。ここが極めた人たちの世界だから、なんでしょうね。
そして、みんなその話芸にも、お話してくれる世界にも感動できて、とうとう吉永小百合さんまでもが感動してうっすら涙を浮かべていた。それを山田洋次さんはしっかり見ていたということでした。それももう50年以上前の話だから、もう時効かもしれないと朝日の土曜版のコラムに書いておられた。
私は、そういう夜にみんなで毎晩お話をする世界にあこがれます。でも、これも昼間は必死になって映画を撮る仕事をしているんだから、その心地よい疲れの上でお酒を飲むんだから、なおさら生きてる感じはしたでしょうね。
そんな、ものすごい生きてる感じ、ずっと味わえてないけど、またいつかそういう場面に出くわすこと、あるだろうか。……わからないですね。