
ラジオで、戦艦武蔵のことを聞きました。
信頼している吉村昭さんが書いておられるし、いつかは読もうと思っている武蔵の本。たぶん、グータラの私は読まないと思うので、とりあえずのことを記録します。
ニュースだったか、話題としてだったのか、それさえあやふやだけど、米軍の武蔵を迎撃する魚雷を積んだ飛行機乗りさんが71年の沈黙を破り、証言をしたと言うことでした。
そのうちNHKのドキュメンタリーになるのだと思われますが、唯一の生き残りの方で、今年95歳ということでした。空母から20機ほどの魚雷を積んだ飛行編隊は飛び出していき、何発かを命中させていった。
証言をした兵士さんによると、十くらいの魚雷が命中しても、武蔵はまだ戦っていたそうです。そして、その方の番が来て、急降下して魚雷を発射して、発射したら急上昇をするてはずになっていたそうです。
ほんの十秒ほどの時間なのに、ものすごく長く感じられるし、対空砲火が浴びせられる中を、歯を食いしばって降りていったことでしょう。そして、自分の発射した魚雷が命中し、それが致命傷となって武蔵は海の中へ沈んでいったということでした。
自機もいくつか球を受けており、エンジンがおかしくなって、近くの島に不時着をしたそうです。そして、命は救われ、長い沈黙を続けた。おそらく命中した名誉よりも、その名誉によって千人以上の死者が出た事実が彼を沈黙させたのではないかと思いました。
自分も、死ぬよりも怖いような永遠の十秒ほどを過ごし、どうにか命は守ることができた。それはたまたまのことで、自分の飛行機を打ち落とそうとした日本軍の兵士たちも、たまたまやって来るので、仕方なく打ったまでのことで、特に深い恨みはないのです。それが戦争というもので、そこに放り込まれた人々は、自分の命を顧みずに相手を倒すことだけを考え、行動する。
そして、生き残る者と命を落とす者の明暗が分かれていく。
兵士は、ずっとその事実を重く受け止め、軽々に口外するものではないと感じ、ずっと黙り続けた。
けれども、自分も95歳となり、今語らねば誰も語る者はおらず、海中に沈む武蔵の姿が最近映像として取り出されたこともあり、語っておこうという気持ちになられたということです。

漱石の「こころ」でもそんなことがありました。先生と呼ばれる人がやがて遺書という形で若者に手紙を書きますが、あそこでも何十年も1人で抱え続けた思いがあった。話の流れの中で取り上げられる乃木大将もそうでした。人はずっと何かをこころに秘めたまま生き続けることがあるらしいのです。
そのフタが、なにかのきっかけで開かれるときがあって、私たちもそういう場面に出くわすと、少しびっくりしながら、そういうこともあるものかと改めて思い知らされるのです。
私は、その十秒がとてもこわいです。まるでジェットコースターの最初に落ちていくのとほんの少しだけ似ています。ものすごく重力があって、どうして自分はここへ落ちていくのだという不条理と、本来一緒にすべきものではありませんけど、私の中で近いものというと、あれくらいしか思い当たりません。
あの感覚のもっと命がけ版であり、絶対にみんなが経験してはいけない体験だと思います。でも、理解はしたいので、メモしました。