昨日の朝、テレビでオダマキの花の話を聞いてから、何だかもどかしい気持ちになりました。どこかで聞いたことがあるんだけど、思い出せない。
オダマキの花そのものも、テレビで見せてもらっても、全然今まで見たことがないような、いや、意識していないだけの、私にとって印象の薄い花ではありました。でも、耳ではどこかで聞いたことがあったのです。
それはどこ? それは何? やたら、気になったのです。
「……の花」って、百人一首だろうか?
そうか、それくらいしかないかもしれない。調べてみよう。
もみじ、サクラ、花も昔の……、違うなあ。浅茅生(あさじゅう)の、これも違う。ヤエムグラ、これ、どんな草? ここでは聞いたことがあるけど、実物知らないなあ。さしも草って、これはヨモギだよなあ。奈良の都の八重桜、これも違う。ラストのしのぶ草、これも名前は聞いたけれども、実物は分かりません。
ああ、百人一首ではなかった?
最後に「ハナ」で終わる歌は?
29番の「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花」凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)だろうか?
あてずっぽで、折ろうと思えば折れるだろうか。初霜が白く降りてどれが花なのか、霜なのか分からなくなっている白菊の花よ。
いや、「ハナ」では終わってるけど、ちゃんと「オダマキの花」としてピタッと着地する歌を聞いたことがあったのです。
そんなに印象は残ってないけど、短歌で、五句めに「オダマキの花」で決める歌はないのだろうか。メジャーな人で、意味は分からなくても、耳に残る短歌ってないの?
またまた検索してみました。
鳥かごのかたへに置ける鉢に咲く薄紫のおだまきの花
これ、聞いたことがあったの? 子規さんの作品なんですね。子規さんは、たぶん、晩年、寝床以外から外に移動できなくて、鳥籠を置いてもらったり、枕元に植木鉢を置いてもらったりしたのでしょう。そうです。テレビでも、鉢でオダマキの花は売買していました。
鳥かごがあって、そのそばにオダマキの植木鉢を置いてもらった。そこに薄紫の花が咲いた。子規さんらしい、無駄のない、そのまんまの自分から見える風景です。余計なものは一切ありません。
でも、生活空間の中にいろんなものを取り入れている人の生活がチラッと見えます。そうすると、この人は、花の色、香り、花の意味、何度も何度も繰り返す、昔に戻ろう、昔から好きだった、そんなノスタルジックな雰囲気さえ伝わります。
私は、子規さんの歌を心に留めていたの?
そうかもしれない。でも、違うかもしれない。それはどこにあるんだろう。
それは、意外なところ、もちろん、自分の足元にあるはずなのです。それが見えないのです。すぐそこにあるのに、それが何なのか、ああ、もどかしい!