今日は朝から雨が降っています。いや、もう夜中から降ってましたっけ。そう、寝ぼけながらヒヨドリの鳴き声を聞いたような気がしたけれど、あれは気のせいだったのか、夢だったのか。
朝ごはんを食べ終えて、コーヒーも二杯飲んで、おなかはいっぱいになりました。朝のヨーグルトはイチゴにしました。ああ、なんというフルーツ人生なんでしょう。
テレビは、NHKのeテレで、「京も一日陽だまり屋」でした。取り上げられていた花はオダマキの花で、「あれ、どこかで聞いたことあるなあ」と思ってました。
番組では、昔、女の子からオダマキの花をもらった、ということになっていて、男の方は何も知らないまま、彼女と離れ離れになったということでした。
そこで花屋さんは、オダマキの花のことを説明してあげた。
それは、義経さんと恋人の静御前の話にちなむエピソードがあるということでした。
静かさんが、この歌をうたったそうでした。
♫ しづやしづ しずのおだまきくりかえし むかしをいまに なすよしもがな
静よ、静よ、と繰り返し私の名を呼んでくださったあの昔のように、懐かしい判官様の時めく世に今一度したいものですよ。
という内容なんだそうです。借りてきた口語訳では、義経さんが時代の中で輝いてた昔に戻ってほしいです、ということになってますけど、そうなのかな。
そんな強欲なことはなくて、あなたと私で過ごしていられたあの時のようになれたらいいわ、みたいな、ささやかな願いではなかったかな。いや、状況によって意味が変わってもいいですけど、本意としてはそうじゃなかったかな。
ネットで見てみると、元歌があるそうで、『伊勢物語』に載っています。
古(いにしへ)のしづのをだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな
この古歌を踏まえ、「しづ」を自分の名の「静」にかけて、義経を恋い慕い、なんとかして昔を今にもどしたいという願望を古歌に載せてうたったということらしいです。なかなか、味なことをするものです。いや、静御前という名前が付いた時には、いろいろとそれに付随するエピソードとか、考えたのかもしれないけれど。
伊勢物語は、色男が歌を詠むので、男の側からの意味合いになって、
昔、親しく関係をもった女に、何年かたって(男が)、昔の織物の麻糸をつむいで巻きとった糸玉から次第に糸を繰り出すように、もう一度親しかった昔に時をまきもどして、あの楽しかった過去の日を現在にする方法があるといいなとしみじみ思うよ。
という内容になっています。どっちにしろ、昔に戻れたらということですね!
また、冒頭の歌、静御前さんが頼朝さんの前で、昔の恋人の義経さんをしのんで、白拍子の舞を舞いつつうたったとも伝えられているそうで、頼朝さんとしても、弟の恋人が弟をしのんでいる姿を見ながら、何とも言えない気持ちになったでしょうか。
彼だって、弟を殺したくはなかった。けれども、自分たちのヨチヨチした政治権力を確立するためには、家族よりも集団の論理を優先するしかなく、あまりに突出してしまった弟さんを、見逃すことにはいかなかったなんて、悲しいものがありますね。
オダマキの花って、イマイチはっきりわからないのに、情報だけはあって、耳に残る花の名前です。
いつか、どこかで見られたらいいのにね。うちにはないと思うんだけど、あるのかな?