甘い生活 since2013

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42 …… Jackie Robinson 2013

2023年04月17日 21時08分56秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 今日はお休みでした。それでBSで「42」という映画を見ました。

 「42」番というのは、MLB(メジャーリーグ)のすべてのチームで永久欠番になっています。そして、4月15日には、すべてのチームのすべての選手がこの番号をつけて試合をする日になっていて、「ジャッキー・ロビンソン・デー」というそうです。ものすごく徹底しているけど、そんなにしてみんなが胸に刻む日であるらしいのです。

 たぶん、小さな子どもなら、「ジャッキー・ロビンソンって、どんな人? どうしてみんな42番つけてるの?」と、親に質問するでしょうね。そういうのを大事にしているんだから、アメリカの野球の歴史も大したものです。

 今年、エンジェルスの大谷くんも42番をつけてホームランを打ったんじゃなかったかな。それくらいに、アメリカで、野球を愛する人たちのすべてに大事な日となっているようです。



 ジャッキー・ロビンソンという選手は、それまでにニグロリーグで活躍していたそうです。そこにはMLBのレベルをはるかに超えるすごい人たちがいたけれど、みんな厳しい条件の中で細々と野球を続けていました。すごいピッチャーもいた、すごいバッターがいた、などの数々の伝説がありますが、それらは分離されていて、正確な記録も歴史も残っていないようでした。いや、そもそも野球というものとしてアメリカ社会が見ていなかったのかもしれません。

 アメリカは、1920年代だったか、そのころには禁酒法などというものがありました。その昔には南北戦争だってありました。テキサス、ミシシッピー、ジョージアなど、南部は黒人差別も残っていたでしょう。

 キング牧師(うちの父より二つ年上なだけでした。びっくり!)たちが、黒人差別の激しい地域の中で、非暴力で、そこにいる黒人たちを無視して生きていけないのではないか、どうして一緒に生きていくことはできないのか、たとえば、公共交通機関であるバスなのに、どうして黒人だけ分離されなくてはいけないのかと、そんな差別的なバスをみんなでボイコットする運動をしたのは、1955年だったそうで、つい最近も差別的な事件はあったけれど(BLM)、なかなか進んで行かないけど、少しずつ前に向かっている問題があります。

 野球界において、黒人選手を排除して存在していたメジャーに、そんなのはおかしいし、どれだけ才能のある人が除かれているか、悔しい思いをしているか、そういうのをなくしたいと思った仕掛け人がいました。

 ドジャースのブランチ・リッキーという人だったそうで、数ある候補者の中から、ジャッキー・ロビンソン選手を選び、どんな屈辱的なことがあったとしても、それに立ち向かう勇気を持て! 決して挑発に乗るなと、苦しい条件を受け入れさせて、メジャー最初の(本当は二番目なんだそうですが、それははるか昔で、近年としては最初の)選手としてデビューさせたのです。

 それが、1947年の4月15日だったそうです。


 ブルックリン・ドジャースは、エベッツフィールドというところを本拠地にしていて、ここでキャリアが始まります。

 このデビューまでも大変だし、ジャッキーさんの生い立ちも映画の中で語られますが、お父さんが生まれた時にはおらず、お母さんが苦労して育ててくれた(映画の中で実母さんなのかな、という人が一瞬出てきたけれど、あの人はお母さん役だったのかどうか、奥さんのお母さんだったのかな?)

 生まれた時の苦しさ、チームにデビューするまでのギクシャク。もちろんチームメートは最初から拒否反応は示しますし、マスコミだって差別的だし、ジャッキーさんからも挑発的なメッセージを引き出して、世の中の反発をあおろうとさえします。

 すべてに関与し、配慮し、指導しているブランチさん(この役がハリソン・フォードさんでした。あいかわらず、少しこもった声なんだけど、しぶい味を出していました)は、ジャッキーさんに「紳士としてふるまいなさい。みんながあなたの後についてくる。あなたは最初の人だから、白人と黒人を分断させるわけにはいかない。いろんな壁があったとしても、それを乗り越えて、みんなをまとめる役を担ってくれ」と支え続けるのでした。

 そして、映画では、ドジャースがジャッキーさんのホームランで勝って、優勝を手に入れる、というところで終わります。

 実際は、1955年までキャリアは続くし、いろんなドラマがあったことでしょう。あとに続く黒人の選手もたくさんいたようです。でも、まだ黒人が白人の中に入っていく最初のところでしかなかったのです。

 9年のメジャーのキャリア、どんな華々しい歴史が刻まれたのか、ウィキペディアを見たら載っているでしょうか。でも、私たちはそんな記録を追いかけてるのではなくて、どれだけ試合の中でその人たちが輝いていたか。どれだけ私たちが選手たちに感情移入できたか。みんなが試合の中でどれだけ一つになれたか。それを味わいたいだけです。

 映画の中では、ジャッキー・ロビンソン選手の苦しさとそれを乗り越えさせる家族、仲間、ファンなどに時間の中にしっかり描かれていた気がします。

 残念ながら、主役をしたチャドウィック・ボーズマンという方は、2020年に亡くなっています。今も活躍しておられるのかなと調べたら、そうなっていました。何だか信じられない。

 でも、この映画の中ではいつまでも輝いているし、私は胸に刻むことができました。キング牧師も活躍されていないアメリカで、みんなが一つになるために紳士としてふるまった一人のアスリートがいたこと、それを今に伝える映画になりました。

 

 東海岸でアメリカの野球チームは生まれていきます。ニューヨークには名門ヤンキースがありました。その近所のブルックリン(下町なのかなぁ?)にドジャースというのがあった。

 やがて1955年くらい(ジャッキー・ロビンソンが引退するあたり)に、西海岸のロスアンジェルスに本拠地を移転させるんですから、移転後ももう70年以上の歴史があるわけです。

 割と新しいものを開拓していくチームらしくて、ものすごいおじいちゃん監督のラソーダさんがいたのもドシャースでした。

 そこへ日本から何十年ぶりかで飛び込んでいったのは野茂選手でした(1994だったかな?)。

 Dodgersって、dodgeって、ドッヂホールのドッヂでした。逃げまわる、クネクネするっていう意味です。どうしてそんな変てこな名前なのかなと思ったら、はるか昔、ブルックリンを走る市電か何かで、お客さんはいつもクネクネさせられてたそうで、そういう自分たちをdodgerって名付けた。それがずっと変わらずにチームの名前になってるなんて、かわいらしいというのか、お茶目というのか。

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