何十年もむかし、はるかかなた過ぎて、何も記憶していないですけど、小学校の修学旅行で伊勢志摩に行きました。
初日は雨でした。最初に伊勢市からまっすぐ外宮(げくう)まで歩いて、雨の中をお参りしました。記憶にありません。たぶん、寒かったと思われます。小学生なのでみんな半ズボンでした。それが小学生の制服でした。
でも、うちは母が防寒にはうるさくて、半ズボンの下にタイツを履かせられて、何だかモコモコ歩いていました。記念写真などを見てみると、タイツを履いてる男子はほとんどいませんでした。でも、うちは母の権力が絶大だから、母の言うとおりにしていたはずです。私に自己主張はなかったのか。
伊勢志摩スカイラインを雨の中、観光バスは走り、二見のめおと岩にも行きました。とても狭いスペースなのに、どうにかこうにかして記念写真を撮ったようです。何だか涙ぐましいです。どうして小学生にそこまでやらせるんだろう。まあ、それは今も同じかな。
二見が浦って、不思議なところです。三重の人たちだけが大事にしているところで、よその人たちから見れば、「ただの岩場だろう。大きい岩と小さい岩がちょうど並んでいるだけじゃないの?」と言われてしまいそうです。
まさにその通りで、どこの海にもありそうな感じです。でも、じっと観察していると、岩の間から朝日が昇ってきたり、冬のスッキリした朝には富士山のシルエットが見えたり、朝の一瞬にものすごく輝いているようです。
残念ながら、そんな朝からこちらで日の出を待つなんていう機会はめったにないから、ただ人づてに有り難い場所なのだと教わったことをそのままうのみにしています。でも、近くに行くと、何とも言えないありがたみはあるのです。
注連縄(しめなわ)だって、年に数回ははり直すそうです。ずっと波に洗われているし、時には厳しい日だってあるから、太い縄だってちぎれてしまうのです。何度も、いろんな形でこの場所をみんなが神聖なところとしておまつりしている。
だから、全く何の先入観もなしにここに来たら、ただの岩場に見えそうなところでも、しっかりとオーラみたいなのは感じてもらえるようになっています。
そして、私は18きっぷのラストの旅を、近場の二見までの往復に使うことにしました。少しもったいないです。でも、今までたくさんのチャンスがあっても、すべてをスルーしてきたのですから、最後は小さくストンという旅になりました。
県内をわざわざ18きっぷで旅するなんて、許せないんだけど、チャンスを逃したものには、それがふさわしいのです。
また、春にチャンスがあれば遠出したいです。
三重県に住んでいる私は、せいぜい三重のいいところを探して、世の中の人に来てもらいたいところです。
そんなにすごいところはないのです。ありふれたささやかな生活の場所があるだけです。でも、こざっぱりして、人はみんなのんびり暮らしていて、よそから来てくれた人を迎え入れたいという気持ちはいっぱい持っています。
私自身、どれくらいこの三重を味わえてるのか、そちらの方が問題です。また、週末からあちらこちらに出かけて行きたいです。何が見つかることやら。