甘い生活 since2013

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政治とは? わたしたちの社会とは?

2024年06月26日 22時22分19秒 | 中国の思想家のことば

 吉川幸次郎さんの『中国の知恵』(1958 新潮文庫)を読み終えました。うすい本だから、簡単に読めましたけど、なかなか勉強になりました。何度も聞いてることばだし、初めて聞くようなこともなかったのかもしれない。……どうかな?

 でも、すごくビシッと書いてくださっています。とても気持ちは良かったんです。

 論語をつらぬいて流れるもの、それは要するに、ふてぶてしいまでの人間肯定の精神、更に言い換えれば人間の善意への信頼であると、感ぜられる。少なくとも私にとっては、そう感ぜられる。

 先生は、お弟子さんたちとことばを交わすのです。それが記録されているのが『論語』でした。問答集です。だから、弟子たちへの愛が基本になっていて、ものすごく広大な世界を見わたした上でのことばになっているのだと思われます。私たちみたいに(特に私なんかは)自分の利益・保身・安全・予防線・間に合わせ、みたいなことばはありません。

 それはもう、二千五百年の歳月を経たものですから、私のような浅はかなものではありません。話にならないのです。だから、私たちは、先生とお弟子さんたちがどんな気持ちで会話されてたのか、それを勉強したくなります。わからないかもしれないけど、少しでも知って、少しでも何かの役に立てたいのです。

 そういう損得勘定で読もうとするから、何が得か、どんな風に人の気持ちを掌握するかとか、ハウツーものとして読もうとしたって、たぶん、何も得られないのでしょうけど、何度も、いろんな場面で、思い出しつつ、先生たちのことばを自分のものにしたいと思ってしまいます。

 損得じゃなくて、中途半端な自分を少しでもましな人間にするための指針みたいなものでしょうか。私なんかがどれだけ身につけたって、何の得にもならないけど、人間となるために読んでいきたいと思いました。

 ヤンチャで、そそっかしいけど、いつも真面目に生きていく指針とは何か、何のために生きるべきか、政治とはどうあるべきか、どう行動すべきか、何が足りないのか、先生のために自分のできることは何かといつも考えているお弟子さんの子路さんという人が、公伯寮(こうはくりょう)という人の誣告(ぶこく 告げ口、悪口みたいなもの)でピンチになりそうでした。

 先生は言います。
 道徳の行われる世の中となるのも、運命であり、道徳のすたれた世の中になるのも、運命である。一公伯寮の力によって、運命は左右されるものでない。

 「道」の行われること、廃れること、つまり、人類の運命が希望の方向に向かうこと、向かわないこと、みないずれも「命也(めいなり)」、運命であるとして、ここでは平等に肯定されている。
 しかしこの条でも、運命は、公伯寮のような小人(つまらない人)の味方でないということが、言葉のどこかに暗示されている。

 孔子先生は、人の運命というのは、良くも悪くもなるけれど、つまらない人物のところに運命のカギが握られているのではないという確信があったそうです。

 根拠のない自信なのかもしれないけれど、少なくとも、小人物や大悪人がすべての運命を握っているものではなかったのです。


 今の世の中は、よい方向に向かっているのか、今の日本はどうなっているのか、世界は? あまり良い方向に向かっていないような気がするのは、この21世紀の20年間くらいですね。それまでは、何だか21世紀になれば、もっとみんなが豊かで、交流し合って、世界は一つになる、みたいな気がしていました。

 それは私の読み間違えで、混沌となり、独裁者がはびこり、世界は自分の利益を確保するのに汲々としている。そんなでは、とても他人の幸せなんて考えられないし、自分さえよければよい。そうなってしまうのは当たり前で、合衆国も、東京都も、自民党も、私たちも、自分の利益ばかりを求めている。

 孔子先生とそのお弟子さんたちは、もっと純粋だったし、政治とは何か、いかに人々によい政治をもたらせばいいのか、真剣に考えた人たちでした。二千年の歳月の間に、日本では孔子さん的な「政治」はすっかり古いものとなってしまっています。世界も同じでしょうか。

 だからこそ、もう一度、私たちは孔子さん的な考え方を、この21世紀の社会に生かせられないか。それを考えたくなります。

 ということは、忘れっぽい私なんかは、何度もこのうすい本を読まなきゃいけない、のかもしれないです。

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