昨日に続いて、ビーチボーイスのこと、書いておきます。
といっても、私がこのCD(1998版)、ビーチボーイズのベストを買ったのは、たぶん、今世紀の始まりかなと思って調べたんですけど、正確なメモは残っていませんでした。わかったことは、2011年以降に買ったということでした。
そうだったのか、てっきり、「パルプ・フィクション」(1994)をBSで見て、「そうだ、サーフサウンドだ! だったら、ビーチボーイズだ!」と調子に乗って買ったんだと思ってました。
でも、そうではなかった。ということは、FMとかで「Sumahama」というのを聞いて、この一曲に惚れて買ったんだろうか。最近はそういうこともあったから、そんな感じだったんですか? 私のすることですから、よくわからないです。本当に困ったことだ。
I'm gettin' tired layin' around here at night
Thinkin 'bout some other guy holdin' you tight
He may have money and a brand new car
May even treat you like a movie star
Ain't no matter what he ever do for you
一晩中ここで悶々としてるのに疲れたんだ
どこかの誰かがキミを抱きしめてると思うと……
ヤツは金持ちで、新車も持ってるかもしれないし、
キミを映画スターみたいに扱ってくれるだろうが
ヤツがキミにどんなことをしようとも
He can never love you like I can do
So if I leave her and you leave him
Can we ever get it back again
ボク以上にキミを愛することなどできるもんか
だから、もしボクが彼女を捨て、キミがヤツを捨てれば
ボクらは再び愛を取り戻せるだろうか。
ちょっと待ってください。
こんな破滅的なこと、歌っていいんだろうか。略奪愛をめざしているの?
いや、違いますね。
すべてが終わった人たちの歌なんじゃないのかな。
すべてはもう、一通りの落ち着くところに落ち着いてしまった。
でも、「もし」ということを考えてしまう。それで、頭の中の空想が広がって、好きだった彼女と自分とのイメージの中の恋愛を楽しむ。そういう空想カムバックをしてるんでしょう。
すべては諦めているけど、もし違う展開になってたら、どうだったかな。幸せだったかなと、オッチャンたちの空想・妄想を歌にしただけじゃないのかな。本気じゃないんですよ。
でも、そう考えたら、何だか今もフワフワできてしまう、そんな大人の遊びなんじゃないかな。
まさか、本気で略奪しようなんて、思ってないと思うな。
そして、自分たちの若い時代を取り戻したい。そんなこと考えてたのかもしれません。かわいらしいオッサンたちです。そして、少しずつメンバーはいなくなっていったんですから。
1998年のベストが最後の輝きだった。そして、みんないなくなった。やがては私もいなくなるし、うちのCDたちも二束三文で売られてくでしょう。何かシャクですね。だから、そのうち古本屋を開いて、あるものないものすべて売り払おうとは思うけれど、そんないつまでも本やCDがあるわけはないし、少しずつ処分していくしかないのかな。
いや、そんなたいそうなことではなくて、古本屋の一角に自分の売り場スペースを借りて、少しずつ減らしていくというのが現実的かな。
まだまだ私の自分の道探しは続いていくわけですね。まあ、それもそれでいいかな。