どうしてそんなムチャをするのか、普通では考えられません。でも、あえてそれをしてしまった。何ということだ!
淡墨桜はまだつぼみ状態でした(3/17 お昼)。それは仕方がない。二十歳を過ぎたばかりの木で、人間で言えばまだ思春期くらいの木だけど、昔、本居宣長さんが吉野からの帰り道にこのあたりを通った時にはなかった桜の木ですもんね。若くてソメイヨシノよりも早く咲くんだけれど、まだ日ざしが足りなかったんでしょう。
私はそちらで、静かにサクラが開こうとするのを待ってみました。
もちろん、パッと開くものではないし、あと数日はかかるはずだけど、奥さんとドライブでここまで来れたことがうれしかった。彼女は久しぶりの遠出ということで、首をキープするのがしんどくて疲れたということでした。
そうか。運転している方は首を前後左右に振り分けて、そんなに疲れないのだけれど、彼女の場合は、どんなふうに自分をゆだねたらいいのか、わからなかったんですね。また慣れるかな、慣れないかもしれない。奥さんに「もうクルマには乗らない!」とか宣言されそうです。ションボリだなあ。奥さんのいないドライブなんてね……。そうしたら、電車の旅にするか?
昨日、サクラの木からもう少し大洞山の方へ突き進みましたよ。
ふきのとうが出ていたり、梅の花が咲いていたり、春らしき風景。風はそんなになかったけれど、もちろん静かに見えない形でスギ花粉やその他の花粉も飛びまくっている。
それなのに、ごく最近、持ち主の方が山林の間伐をしたら、日の光が入り込むようになり、昔からそれなりには生えていたミツマタが少しずつ増えて、群生地みたいになったという、美杉町の新名所ということで、杉林の中を、歩きで突進しました。
ゴーグルをつけて、帽子をかぶり(頭もさびしいけれど)、もちろんマスクをつけ、呼吸困難になりながら千メートルほど山道を歩き(標高はほんの少し高いだけ)、やっとたどりついたところが群生地でした。
写真がへたくそだし、本当はもう少し先まであるみたいでしたけど、花粉も飛んでいるし、山道でくたびれてしまったので、下の方だけを見て帰ってきました。
あとで、もっと奥の方から降りてこられた人たちを見かけたけれど、山の上の方はもっとすごかったのかどうか……。
ミツマタは、和紙の原料としてこのあたりに導入された植物でした。ですから、細々とそれらの生き残りが引き継がれていて、和紙の産業がどれだけこちらで盛んなのか、それは不明だけれど、山林には根付いていた。
たまたま、その山林を整備したら、下の方まで光が入り込み、ミツマタたちが元気づいて、さんりんのあちらこちらに広がっていったということです。ごく最近の話です。
うちの庭だって、ハルシャギクというのがどんどん生えていた時期があり、それがルドベキアに変わり、最近はリクニスというのが猛威を振るうという、栄枯盛衰がありますが、植物はわりとそういう流行りすたりがあるようです。
この群生は、今がピークなのか、これからさらに強まるのか、私にはわかりませんけど、たくさん静かに森の中で広がっていました。
森の声は聞こえたかというと、それはあまり感じなくて、鳥たちの声をあまり聞けませんでした。
駐車場からは、梅と南から見る大洞山が見えました。お山も春を前にして、杉花粉でうんざりしているように見えました。梅は花粉の襲来を告げ、桜は花粉の終焉を宣告してくれたらいいのにな。そんな甘いことはないですね。