ここのところ、クラッシックは「三角帽子」です。それが済んだらドアーズの「ハートに火をつけて」! そんな音楽を聞きながら、「(どっちも?)不思議な音楽だなあ」と思っていると、ウチに着くのです。
「おっ、信号は青だ。キュキュッと左折しようじゃないの!」と、キュッキュッとタイヤが鳴ってるつもりで左折します。
本当は、そんなことはないので、ゆっくり細い道を入っていくんですけど、気分だけは、快速に街の中を快走しているイメージなのです。何の得にもならないので、サッサと帰ればいいだけなんだけど……。
今夜なんて、左折ウインカーも出さないで曲がったら、パトロール中の警察のクルマが、待ち構えていてビックリでした。ただのパトロールだから、そのまま行き過ぎたけれど、慎重に走らないといけないですね。
ドアーズに出会ったのは、1979年の映画「地獄の黙示録」でした。試写会に当たったのか、映画館まで出かけたのか、とにかく期待を持って見に行ったのは確かです。そして、衝撃を受けた。映画の中で、現地の人を緊張のあまり全員を殺してしまい、「欺瞞(ぎまん)だ」というセリフが字幕でつかわれていて、ああ、そんなことばがあるんだねとビックリした記憶があります。
友だちも、ことばそのものが衝撃的だったのか、「それは欺瞞だね」なんて、そういうシチュエーションで使いたくてウズウズするような、刺激的な作品ではありました。
そして、わからないなりに、何だかすごい作品だなと私たちみんなは思ったんです。
個人的には、そのあとの「ワン・フロム・ザ・ハート」が、N・キンスキーさんとテリー・ガーさんが出ていて、好きなんですけど、特にテリー・ガーさんは、ずっと好きでした。
いくら好きでも、出会うチャンスがなくなって、次第にテリーさんを忘れてしまってますけど、映画の中で彼女は生き生きしているし、世間的には評価は低いんですけど、まあ、なかなか好きですね。
すぐに横道にそれるクセ、いけないですね。もう、眠いんだから、サッと書きます。
「地獄の黙示録」の冒頭で使われていた「ジ・エンド」これも衝撃的でした。まるでこの映画のために作ったかのような曲でした。
この世の終わりが来て、人々は狂気にまみれ、だれが敵かもわからないまま、ただ向こう側にいるだれかを殺すためにロケットを打ち込み、相手からも飛び道具がやってきて、延々と戦いは続いていた。そして、行き着いたところで、米軍兵士は狂気の王となっていた。これがマーロン・ブランドで、その王様を殺しに来たのがマイケル・シーンだったでしょうか。
こんな混乱の中で、人々の殺し合いはつづくのだけれど、「もう、終わりだよ。友よ。」と歌いかけるんでした。この世が終わるのか、戦争が終わるのか、人間の愚かさの終点なのか、先が見えないけれど、私たちはもう一度踏みとどまって、見てみようという気になる映画でした。
その歌を歌っている人はすでになく、バンドも消滅していて、なんとも不思議な気分ではあったけれど、終末感いっぱいの映画でした。名匠のコッポラさんが、「ゴッドファーザー」で得た名声をすべて投げ込んだ問題作ではあった。そのサントラのドアーズのボーカルは、大学の同級生だったということで、なおさら不思議な縁を感じる作品ではありました。
というわけで、今からオフロ入って寝ます。明日も5時起きです。つらいなあ。
「おっ、信号は青だ。キュキュッと左折しようじゃないの!」と、キュッキュッとタイヤが鳴ってるつもりで左折します。
本当は、そんなことはないので、ゆっくり細い道を入っていくんですけど、気分だけは、快速に街の中を快走しているイメージなのです。何の得にもならないので、サッサと帰ればいいだけなんだけど……。
今夜なんて、左折ウインカーも出さないで曲がったら、パトロール中の警察のクルマが、待ち構えていてビックリでした。ただのパトロールだから、そのまま行き過ぎたけれど、慎重に走らないといけないですね。
ドアーズに出会ったのは、1979年の映画「地獄の黙示録」でした。試写会に当たったのか、映画館まで出かけたのか、とにかく期待を持って見に行ったのは確かです。そして、衝撃を受けた。映画の中で、現地の人を緊張のあまり全員を殺してしまい、「欺瞞(ぎまん)だ」というセリフが字幕でつかわれていて、ああ、そんなことばがあるんだねとビックリした記憶があります。
友だちも、ことばそのものが衝撃的だったのか、「それは欺瞞だね」なんて、そういうシチュエーションで使いたくてウズウズするような、刺激的な作品ではありました。
そして、わからないなりに、何だかすごい作品だなと私たちみんなは思ったんです。
個人的には、そのあとの「ワン・フロム・ザ・ハート」が、N・キンスキーさんとテリー・ガーさんが出ていて、好きなんですけど、特にテリー・ガーさんは、ずっと好きでした。
いくら好きでも、出会うチャンスがなくなって、次第にテリーさんを忘れてしまってますけど、映画の中で彼女は生き生きしているし、世間的には評価は低いんですけど、まあ、なかなか好きですね。
すぐに横道にそれるクセ、いけないですね。もう、眠いんだから、サッと書きます。
「地獄の黙示録」の冒頭で使われていた「ジ・エンド」これも衝撃的でした。まるでこの映画のために作ったかのような曲でした。
この世の終わりが来て、人々は狂気にまみれ、だれが敵かもわからないまま、ただ向こう側にいるだれかを殺すためにロケットを打ち込み、相手からも飛び道具がやってきて、延々と戦いは続いていた。そして、行き着いたところで、米軍兵士は狂気の王となっていた。これがマーロン・ブランドで、その王様を殺しに来たのがマイケル・シーンだったでしょうか。
こんな混乱の中で、人々の殺し合いはつづくのだけれど、「もう、終わりだよ。友よ。」と歌いかけるんでした。この世が終わるのか、戦争が終わるのか、人間の愚かさの終点なのか、先が見えないけれど、私たちはもう一度踏みとどまって、見てみようという気になる映画でした。
その歌を歌っている人はすでになく、バンドも消滅していて、なんとも不思議な気分ではあったけれど、終末感いっぱいの映画でした。名匠のコッポラさんが、「ゴッドファーザー」で得た名声をすべて投げ込んだ問題作ではあった。そのサントラのドアーズのボーカルは、大学の同級生だったということで、なおさら不思議な縁を感じる作品ではありました。
というわけで、今からオフロ入って寝ます。明日も5時起きです。つらいなあ。