甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

平和、自由、人権、民主主義!

2016年01月08日 21時11分17秒 | 戦争と平和
 最近の新聞で、ある作家がこんなことを書いていたそうです。

 その作家さんは、最近こういう誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を受けるそうです。
「おまえは、人権か!」「おまえは、平和主義者だな! コノヤロー」みたいな。

 人権を大事にすること、平和を求めること、自由であること、民主主義を尊重すること、それは過去の常識になってしまったようです。今の若い人は、「共産党」は何か、その起源や歴史は知らないし、日本にそういう政党があるというのも、知らない人たちがいっぱいいる。

 だから、かつて戦後の一時期から70年代くらいまで、「おまえ共産党か」というのは非難の言葉であった。その言葉でレッテルを貼ったら、中味など関係なく仲間はずれにする。のけ者にする。攻撃の対象にする。なんとなくそうした雰囲気がありましたが、今の若い人はそんなことは知らない。

 今の若い人には、そんなつまらない過去の中傷ことばのあれこれ、人々のいやらしさやらがなくなって、共産党への理解も消えた。そして、わりと一生懸命、わかりやすく何かを伝え、それではいかんと政府にあれこれもの申す人たちがいるみたいだが、あの人たちはだれ? わからんなあ、程度でしょうか。とにかく共産党は、選挙では一部の人たちには支持されるけれど、ほとんどの人は、共産党がどういう人たちか知らない。



 というわけで、なんとなく流れていく世の中に、いちいち権利を主張し、文句を言うヤツ、平和を求める人たち、……ヒロシマ・ナガサキの原爆の日に、一生懸命原爆不要を訴える人たち、そういう人たちは今の世の中で嫌悪の対象になっている。

 みんながそれなりにまるくおさまっているのに、「そんなの不公平です」「私たちの人権はどうなるんですか」と黙っていない人たち、こういう人権を主張する人たちも嫌悪の対象になっている。

 平和・自由・民主主義、そういうものを懸命に訴え、国会前で静かなデモをしている人たち、彼ら・彼女らも嫌悪の対象になっている。

 なんだか気に入らない、生意気で、言うことを聞かない、政府にたてつくヤツらだ!
「おまえらは黙っていろ!」と政府のえらいさんが言うのではありません。ごく普通の若者たちが「なんだ気に入らない」と思い、それを言葉にし、ぶつける方法・手段を見つけて、相手にぶちまけるやり方が広がっている。

 もし、日本に簡単に武器を調達し、テロをサポートする集団がいたら、仲間に勧誘して、テロでも起こしかねないくらい、今の若い人たちの一部は過激になっているようです。

 実は、そうではなくて、お互いに話し合い、情報を交換し、何が大切なのか、何をすべきなのか、それぞれが意見を交流し会えたら、新たな地平が開けてくるはずなのに、みんな小さなカラに閉じこもっていて、交流はできていません。そして、言葉だけがどんどん先鋭化し、言葉に酔ってしまったら、さらに過激化していくでしょう。

 たとえば、韓国の従軍慰安婦の問題。あれは韓国政府が政治のカードとして利用しているだけで、人々にわかりやすく、直接的な表現で伝えるために、憎き日本政府が韓国内で1番視覚化されたところの日本大使館前に慰安婦像を設置した。わかりやすく非難的な感情・敵対心を視覚化するためのもので、政治の駆け引きにするための政府による装置でした。

 それを日本のプライドうんぬんとか、もう政治利用しないとか、約束して、やっと交渉は成立したようですが、おかげで日本国内の嫌韓感は若い人たちの間に広まったのかもしれない。対中国でも同じようなことが行われ、お互いの国民が往来は頻繁になっているのに、嫌中感・嫌日感だけをふくらませておいて、利用できるところは利用しないといけないので、爆買だけはどんどんしてくださいと言いつつ、後ろ姿に舌を出しているような、うらはらな行動が出ているような状態です。



 東アジアは、もっともっと交流して、お互いを高め合い、自由で、平和で、人権が尊重され、人々の声が反映される社会となり、簡単に行き来できるようにならないといけないのです。

 肝心なところで、異質な王国の北朝鮮があるので、自由な往来がさまたげられていますが、いつか王国が滅んだら、海底トンネルやら、巨大架橋やら、いろんな方法で、東京からクルマで北京にいくとか、そういう時代が来てもらわなきゃいけないのです。それは何百年後かもしれないけれど、小さなことでカリカリしていてはいけないし、尖閣の問題も、竹島の問題も、南シナ海の問題も、当事者同士が話し合わないで、アメリカさんの影に隠れて言ってみたりしていてはダメなのに、まだまだ成熟できていないのでした。

 うまくまとまりませんでした。ザンネンです。また、チャレンジしてみます。

 とにかく、若者の新しい「悪口」を知ったので書いてみました。平和がうっとうしく見えるようにさせてたのは、私たちの責任なので、平気で平和が大事と言える若者たちが育つ方法を考えたいです。

 時々、うわすべりの「平和」「自由」を耳にすることがありますが、あれの方がかえって気持ちいいのかもしれません。何だか心配です。画面からウソがにじみ出ているのに、それが逆に受け入れられるなんて!




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