甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

軍歌 Singing On The Street HSD-35

2016年01月09日 11時35分41秒 | High School Days
 高校3年生の12月、年も押し詰まっていた。今の進学校ならば、冬休みも補習やら、センター試験対策が行われているころなのだろう。ところがKの学校には、そういう仕掛けはなかった。個々がひたすら勉強するだけだった。

 ということは、時々は思い切り遊んでもいいということでもある。Kの学校では、3年生が大晦日の晩から元旦にかけて、一晩中歩き通すことが隠れた伝統になっていた。

 先輩たちは、梅田から京都まで歩き通したとか、京都で夜を明かしたとか、ささやかな反受験闘争自慢が行われていた。Kの大晦日はどうなるのか。それでなくても勉強は進んでいないのに、たまりにたまったラジオ講座のテープをいつ聞くのか、問題はそれこそ山積していた。




   冬の夕方・人恋しい[1977・12・21 水曜]

 目を覚ますと、あたりはうす暗くなっていて、部屋のすみっこは見えない。表の通りで、だれかが遊んでいる。さっきまで自分のかたわらにいた母がいない。けれど、そのあたりに、ほわっとした、溶けかけた温かみが残っている。けれど、今はいない。

 「どうしたんだろう」と思うが早いか、泣き出す。けれど、どうにもならない。母を求めて家じゅう泣きながらうろついても、決してそこにはいないから、誰も救ってくれないのかと、見放されたような気持ちになって、さらに大声をあげると、家の前で近所の人とお話をしていたのをちょっとやめ、カギを開けて家の中に入って彼を見る。

 すると、泣きやむが、母のつれなさを大いになじり、少しひねくれるが、やはりうれしいので、すぐ仲直りをする。

 といったことが、自分にもあったと思い出させるような、ちょっとうす暗い、冬至の前日の夕である。


 このような幼児返りをするような文章を書いていたKは、少し弱気になっていたのかもしれない。なかなかはかどらない勉強と、何がしたいのかわからない自分の将来と、あまりにすべてが漠然としており、問題集に向かわずに日記帳にでたらめなことばを書き連ねているだけだった。



   軍歌から [1978・1・10 火 ……これを卒業文集に載せてしまった!]

 正月三が日も遠ざかってかなり経つのに、おらが村では夜分遅くに、一杯気分のドラ声で、そこら中に騒々しく軍歌をまき散らしていく輩(やから)がいた。

 ♪今日モ トブトーブ 霞ヶ浦ニャー 

 翔んでいる自分のことをつい忘れ、霞ヶ浦に迷惑をかけているのだった。

 正月、友人と遊びに行ったとき、彼は昔の歌はホネがあるといい、軍歌を愛唱すると言っていた。人は、お酒を飲んで呂律が回らなくなったとき、自分を無性に忘れてしまいたいとき、正体もなくでれーっと倒れ込んでしまうときなどに、やたらに軍歌などの威勢のいい歌を歌っている。この点において「戦争」は残っている。

 しかし、軍歌を現在の若者が愛唱しているとしたら、何と解釈すればよいのだろう。ただ威勢がいいから、何もかも吹き飛ばせるから歌うというのだろうか。決して愛国心が豊かにあふれているからではないはずで、たぶん、人間は弱いから威勢のいい歌を好むのだろうと、日頃の自らの体験を通しても感じたりする。

 戦後は、アメリカとの関連においてのみの歴史である。平和国家の日本が武器を持てたのもアメリカさんのおかげである。仮想敵国をソ連・中国の共産圏とし、アメリカを守る防波堤としての日本がある。

 守る代物は「自由主義」である。自由主義とはとてもイイモノであり、社会主義・共産主義は悪である。自由主義社会で豊かな生活を送る人々にとっては、共産圏は不公平な社会である。そして、この豊かな自由主義社会において経済的に貧しい人々というのは、若いときに学問やその他の活動で努力をしなかったから、その結果として貧しい生活を送らねばならぬことになっている。

 こうして、貧民は貧民同士で、たとえば正直者をだまして、いろいろトリックを使い、おえら方が作った法に則(のっと)って傷つけ合っている。奪えるものなら何でも奪う。ここでは正直は悪である。専門用語、数字の計算などを知らない者こそ、真の貧民に甘んじる権利を有す。

 ああ、何と自由ではないか。念願すればどんなことでも、巧妙な手段を使って思いのままに成し遂げられるのだから……。

 軍歌は聞こえなくなった。夜が更ける。




 Kは世の中の理不尽さを何とかしたいと考えていた。けれども、その考えをどう具体化するのか、その道は見えていなかった。漠然と、将来は新聞記者となって、世の中に行われるいろいろなことを、庶民の目で切り取り、庶民として知っておかねばならないことを伝えたいのだ! という理想を持ってはいたが、それなら受験する学校はどうするのだというところで偏差値の壁に押し返されていた。

 数学はあきらめていた。英語はなかなか伸びない。国語は少しはできたけれど、確実に得点できるほどではなかった。社会は好きだけれど、日本史・世界史の二股で、知識はいい加減なものでしかなかった。

 けれども、2ヶ月後の大学受験に向かって、進んで行かなくてはならない。自己矛盾を抱えたままの受験である。矛盾のない形なら、無理をせず無難なところを受ければいいのである。受験とは自己矛盾との格闘なのだ。

 そうした日々のモヤモヤを吹き飛ばそうと、格闘しながら卒業文集のための文をひねっていた。ああ、その間に勉強すればいいものを、つい好きなことからしてしまうなんて!

 文化祭の記事と同じ日に、受験勉強もせずに書いた文章。きっかけは家の前を通り過ぎていった酔っぱらいたちである。昔は道の真ん中で軍歌を大声で歌う人がいたのである。

 彼らの歌声から発展して、国民は政府にごまかされないように、しっかりと目覚めて行かなくては! ということを書きたかったのだ。ただ、あまりに単純な主張、というよりも少し国民を小馬鹿にする鼻持ちならない感じがあって、人の心を動かすまでには至っていないようである。

 今の世の中には、通りを軍歌を歌いつつ歩くような、そんな時代錯誤の人はおらず、軍歌の文化は消えてしまった。あるのは、こじんまりとした一見大人しいけれど、スイッチが入ると恐ろしく攻撃的になる人たちばかりである。



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