ヴィオラ・ダ・ガンバとは、イタリア語で、「足のヴィオラ」ということでした。そりゃ、ガンバ大阪というサッカーのチームがあるくらいだから、ガンバは足だというのは聞いたことがありました。
サッカーのガンバは、「頑張る」と「足」のダジャレみたいな感じですけど、ある程度世の中には定着したような感じです。あとはもう少し強くなって、もっと地域に根付くしかないのだけれど、大阪に地域スポーツはどれくらい根付いていくんだろうな。まあ、ガンバ大阪の話ではなくて、楽器の話でしたね。ヴィオラでした。
こちらは足で固定するヴィオラということでした。ヴァイオリンより大きいビオラは、もう少し後の時代に生まれたもので、古楽の時代・バロックなどの宮廷音楽・宗教音楽のころは、ヴィオラ・ダ・ガンバで、楽器を抱えながら弓を弾くようでした。少し大変な作業だから、後の時代にはお尻から地面に安定させるための棒が伸びることになって、名前も変わっていったようです。
ダ・ガンバは、楽器を地面につけないで、抱え込むようにする。演奏者は、その姿勢に慣れたらいいのだろうけど、慣れるのは大変な感じで、楽器と一体化しないと弾けない感じでした。
低い音でしっかりメロディやら、強弱やら、陰陽いろいろな味わいを持たせられるような楽器でした。品川聖(しながわ ひじり)さんという方が演奏しています。その方のCDを買わせてもらって、ついでにサインもしてもらった。
演奏会では、この楽器の方が表に出てくる感じで、チェンバロは伴奏みたいな感じでした。そりゃ、二人のアーチストが目の前にいますが、品川さんはかなりキャリアがあるだろうし、曲名だってバッハの「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンパロのためのソナタ」なんだから、ガンバの方が前に来ている。
ベテランの品川さんが、いろんなチェンパロ奏者をつかまえて、各地で演奏旅行をしているのかもしれません。もうずっとこうした演奏を続けている方のようでした。
そうだったのか、私の知り合いのNくんは、見込まれてツアーに帯同しているということなのか。そりゃ、実力がものをいう世界だから、少しずつキャリアを積み上げていかねばならないし、新しい作品を研究して開発していかなきゃいけないのか。
新しいチェンパロの世界を切り開くこと。ピアノよりも音が細やかで、荒々しい曲とか、楽器を大きく歌わせて、みんなを驚かせるには向いていない感じです。大きな聖堂で聴衆を圧倒する役割の楽器はすでにオルガンという存在があるので、それとは別の、人々の人生の機微を細やかに、流麗に、寄り添うように奏でるための楽器としてチェンバロは生まれてきたのかもしれません。
そうだ! Nくんはピアノが上手な人ではあったけれど、もう少し彼は自分の感性に合うものを探していて、同系統だけど、音色や曲目、役割、雰囲気がいろいろと違うこちらに進んできた。そうなるには彼の必然性があったのでしょう。
詳しい事情はわかりません。でも、私は彼らしい選択だったのだと納得する気持ちもありました。Nくんはバロックの世界へと進んでいった。
私は、これから彼のフォロワーとして、もう少しバロックを聞かせてもらおうと決めました。前々からパロックには興味はあったけれど、なかなか近づけなかったんでした。だけど、これから少しずつ入り込んでいきます。
オペラ、歌劇、なかなかそっちはいけないし、たぶんこれからも縁がない気がする。あまりにも壮大ですから。でも、どんなに高貴でも、どんなにハイソでも、繊細な音に対して、オッチャンフォロワーとしてトコトコついていくことに決めた!
それ以前にも、ヨーヨーマさんの「シンプリー・バロック」というのを聞いて、あまり詳しくは知らないのに、何だか懐かしいし、何だか私の心が誘われるような気分を味わったものでした。特にもう一曲目がすごかったんです。静かで豊かな、私の知らない世界が広がっている!
そうでした。後半で、チェンバロのソロの曲も聞かせてもらったんです。音色は好きだし、Nくんの真面目で優しい演奏もよかったのです。でも、パロック初心者の私は、「あれ、さっきと違うなあ、さっきの方が、チェンパロとガンバの掛け合いがおもしろかったのに、ソロだと、音について行けなくて置き去りにされてしまう。」とかなんとか思ってたかもしれません。
ああ、難しいもんだ、もう少し聞く側のキャリアも積まないといかんなあと思った次第です。
そんなこんなの昨日でした。もう24時間が過ぎてしまった。今朝も彼から連絡をもらい、朝から幸せな気分でした。今夜はナゴヤ滞在かな……。
私は、今日なんとか過ごしてきました。夜にはお酒をいただき、今もお腹いっぱいです。このまま寝たら、また太ってしまいます。運動もしていないし、毎日グータラです。とてもチェンパロの音が私につながる生活は送れなかった。
でも、帰りのクルマでは聞いてみました。
でも、昨日みたいに感動しなかった。昨日、1番と2番のソナタを前半に聞かせてもらって、それぞれのソナタの3番目、曲調が変わって、とても明るくテンポがよくて、音楽が飛び跳ねていた。お客さんたちは平均年齢は高かったのだけれど、私はホイホイとこの3番目の幸福感に惚れてしまった。そして、すぐにCD買ったんでした。
でも、今日の帰りのクルマではそれが感じられなかった。そうだ、もっとガンガンに鳴らして帰ってきたらよかったのかもしれない。今度試してみよう!